感じる季節」カテゴリーアーカイブ

暮らしとあそびと、かすみ草。

6月末、満月のころ。

もとくら編集部のおふたり(タクロコマくんと、ミキオサナイさん)と私は、もう何度目になるのかな。再びの「昭和村」を訪ねていました。


2枚目以降の撮影はタクロコマ君。

この春から「村の暮らし」と産業としての「昭和村のかすみ草」に焦点を当て、特集の続編を続けていくことが決まり、4ヶ月ぶりの来村。

参照:ひとの手が成す、暮らしの宝を訪ねて。【福島県昭和村】特集、続けます。

移動中の風景を横目に、こんな話をしたのが印象的でした。

自分が目でみた色合いと、写真に写る色味はちがうということ。だから、自分の目で感じとったように、それぞれの土地特有の色味に調整していったらどうだろう、と。

昭和村の場合はとくに「緑」の深度が印象的。

あくまでそれは、私のイメージだけど。この村の緑は深くて青みがかり、朝夕は必ず霧を纏うほど、たっぷりの湿気を蓄えている。

咽せるように深いから、時々吸い込まれそうにもなって。

生き物のように大胆に呼吸をしている。夏へ向かうこの時期は、なお。

2月にお会いした良作さん。
取材時に少しだけ手がけたみかん用の小ぶりのザルを、丁寧に仕上げて待っていてくれて。思わず手にとって
網目の美しさに惚れ惚れしつつ、「人となりは名前に現れる」とは、ほんとうのことなんだなぁ、と納得したり。

参照:【福島県昭和村】村の暮らしに寄り添う「冬のてしごと」 佐々木良作さんのホウキづくり

やまか食堂さんの「ソースカツ丼」は定番の味。夏場の暑い日も、雪に閉ざされる冬の日も。胃袋にガツンと沁み渡る愛すべき村のソウルフード。


SATORUのみなさんと一緒に「5レンジャー」

今回の滞在で発見したテーマの一つは、「自由とあそび」。徹底的にあそぶためには、柔らかくおもしろく、頭を働かせなくちゃいけないみたい。そこから出てくる発見と閃きは、これからに欠かせない生き抜く力。

この村にとっても彼らの存在は、新たな展開の火付け役になるといいなぁ。
参照:福島県昭和村古民家再生プロジェクト

そんなこんなで楽しくも慌ただしく取材を終えて。イチョウの木の下で感じる安心感たるや・・・。帰り際、喰丸小に集って無心にアイスを頬張る一枚が、とりわけこの旅のお気に入り。

 *

と、タクロコマ君が撮影したたくさんの写真のほんの一部。おすそ分けさせていただき、報告日記となりました。

夏から秋にかけて公開していく本編も、どうぞ楽しみにしていてください。

参照:昭和村から、帰ってきました──君のいまがより良くなるように。(タクロコマ君の視点はこちら)

写真:タクロコマ君(2枚目以降)

とめどもない波のなかで出会い別れてゆらめき生きる。

ツイッターを覗かなかったら、
気がつかないまま何事もなくすぎていったであろう一日のおわりに、
ひとつの死に触れた。

正確にいうと、触れたのではなく「目にした」ことになる。
糸井さんの愛犬、ブイヨン先生が亡くなったのだそう。

【雪と桜とブイヨンと。】糸井重里・今日のダーリン3月22日

そこまでの「ほぼ日」愛好家でも、大の愛犬家でもないわたしが、どうしてこんな風に立ち止まってPCに向かっているのか、不思議な気もする一方で、ふと思ったことがある。 続きを読む

さいきんのできごと。

気がつくと朝、お布団から出るまでにたくさんの時間を要する季節になりました。
すっかり冬、きょうは立冬です。

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 (紅葉も終わりに差し掛かる那須の山並み)

習慣というところからあまりにも遠ざかってしまったブログの更新ではありますが、
個人的な日々の記録は、9月の頭から細々再開したりもしているのです。 続きを読む

毎年繰り返される演目の名は「春」。

止まらない季節にふと足を止め、空を見上げる春。

都会も田舎も、いたるところ景色は桃色さくら色。

ぴちぱちと弾け、いきおいを放つ若葉群は青々と茂り、

活動のしらせに鳥どりは持ち前の歌声にみがきをかける。 ・・・

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過ぎ去っていくものはいつの時代もこころ儚くし、

はじめは嬉々として空ばかり見上げていた人々も、

いずれは我を思い出し、足早に歩み出す。

そこで起きたすべては大きな舞台、演目のひとつ。

わたしたちが信じて止まない架空の”日常”はより一層、それがもつ”日常さ”に拍車をかけるのです。 続きを読む

春と夢。

途切れ途切れ、夢をみた。
とても長いようにも感じるし、短くて切れ切れの断片のようでもある。

夢のなかではいつも、「わたし」という意識は存在するけれど、意識以外の実体を捉えることはむずかしい。

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現実でも付き合いのある馴染みの人たちの姿は、視覚的に捉えることができる。
それなのに、「わたし」の実体はそこには存在しない。

存在する意識と、実体のない「わたし」。
だから夢は、映画を見ているような、ものがたりの世界に入り込んでしまったような、
現実を離れた感覚でそこにある。

桜の花がもつ香りは、人を憂鬱なきもちにさせてしまうことがあるらしいと話に聞いた。 続きを読む

もういくつ寝ると…

屏風のように正面にそびえる山並みの向こうに暮れていく日と、
ほのかに醸された夕暮れのあかもいよいよ引いていく。

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場所から場所への移動と、この間(一連のここまでの流れのなか)に感じた気持ちや思いを自由に行き来させる行為は、少しだけ似ている。

2015年の幕引きと、2016年の幕開けという境。
グレゴリオだけど、人々のきもちは嬉々として空中をたゆたうばかり。 続きを読む

母の不在、無知の”ち”(知・地・池・値…)

すこーん!と突き抜けるように清々しい朝。
もう何日か経つと、冬至ということで、お日さまの光がてっぺんまで弱まっていく、フィナーレの数日間ですね。

弱まって転ずる。そんな佳境の”いま、ここ”です。
ぬくぬく。かぼちゃ団子。。

 

ひたすら動き続けるなかで、芽生えたひらめきもすぐに掬いあげることなく、泳がせたまま流れに委ねる日々は、一層ふしぎな感覚でながれてゆきます。 続きを読む

かろやかなねいろ

まさか、まさか。

まさかり担いだ金太郎。

うーんと空いてしまいました。うっかりすっかり。

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この間たんに、

畑を耕すじかんをおろそかに、していたわけではないけれど・・・

じーっと沈殿させるように、

きもちを落ち着かせることはなく、

季節は立冬を迎え、旧暦では神無月入り。

風が冷たくなりました。

 

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死と再生、終りと始まり。

満月のときは過ぎました。
わたしは「スーパームーン」という言い方が好きではありません。

だったら「超満月」でもいいのでは?・・・個人的には推奨したい。
そんなことを思いつつ、グレゴリオ暦の9月は今日で幕を閉じます。

和暦の今日は葉月の十八日。
愛用中の『和暦日々是好日』という手帳には明恵上人の「あかあかや月」の詩と、”白秋”についての記述があります。

ー白秋ー

陰陽五行では秋は白を司る。
白は「死と再生」を象徴し、生々流転、命の循環を伝える秋の色。
神前で着る麻衣、喪服もかつては白一色であった。
白は無色透明な色、または光そのものをさす。
すべての命は光から生まれ、光に還る。
色はその中に生まれる変化、喜怒哀楽の色。

ー「和暦日々是好日」より

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時と秋

時と秋はイコールで結ばれている。

秋といえば、時だし、時といえば、秋なのだそうな。

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こちら側やあちら側。

そこかしこでリリリリリリ、ジジジジジジジ、リンリンリンリンリン、チチチチチチチ・・・・・・・・・と織りなす虫虫の声は、

目にはさやかにみえねども・・・

どうしたってもうすでに、はっきりとした「秋」をおもわずにはいられない。 続きを読む

物語というのは、往々にして。

久しぶりに自宅の机に座り、ほっと息をつく瞬間。
帰ってきたなぁ〜。という、なんとなくしみじみとした感を覚えながら、それでもまだ後の祭りにしばらくは追われそうです。

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現実的にも観念的にも、「も〜うお腹いっぱい!」
バクバク食べて、ゴクゴク飲み込んで、むしゃむしゃ咀嚼する。
消化してる暇もなかったので、内臓はだいぶお疲れ気味。。

夏はたくさんの野菜が採れる。夏はたくさんの虫が蠢く。有り余って、おいしいところだけつまみ食いしても、翌朝の畑には、たわわの夏野菜が収穫のときを待ち望んでる。 続きを読む