カテゴリー別アーカイブ: 暮らしのかたち

冒険の始めかた、あるいは思考する場所

世の中には知れば知るほど、興味をそそられる人や、関心を掻き立てられる人、ぐーっと掘り下げて対峙してみたくなる相手はいるもので、ハンナ・アーレントは、そんな魅力と謎に満ちた女性のひとり。

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願わくば、徐々に徐々に近づいていき、どこまでも透明なまなざしとして、彼女の眼に映る景色や頭の中で組み立てられる様々な断片に触れてみたかった。そこではどんな日常が、思考が、なされていたのか、どういう現実と、向き合い続けた人生だったのだろうかと。

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触媒、媒介、つながる出口。

とても大きな波がきた。

うねり、うなり、湧き上がり、蠢いて、

いまもまだ、ざわざわ、ぞわぞわ。

鎮まるどころか、ずっと、ずっと。

それはいまなお続いていて、うっすらどこかで触知しあって、

目があい、カチン。

つながるときは、スッとつながり、

掛け違えたままのボタンが掛け直される気配はきはく。

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up&up どんどんいこう、いけるところまで

きのうから何度も、何度も、

繰り返し見ているこの動画。

COLDPLAYのup&up。


はじめはそれこそ、時空を超えて展開される映像の世界観に圧倒されていたのだけど、

なんどもなんども繰り返し見ていくうちに、そこに見え隠れするメッセージ性のほうにぐんぐんぐんぐん惹きつけられていった。

 

わたしたちが築き上げたもの、

わたしたちが描いた未来、

わたしたちが手に入れ、進んできた道のり、

進みたい、見てみたい、もっとたくさん、もっと幸せに。。

 

大地に線を引き、壁も作ったし、さらなる発展を目指して、開発をして、戦争もして。

もっとよくなる。もっと便利に?

どんどんいこう。いけるとこまで?

 

ひとりひとりの時間が有限なのと同じように、

水に満たされたこの星のなか、

ひとも、どうぶつも植物もみんなみんなで、限られた地球を共有している。

 

便利に満たされた時間のいっぽう、

家を追われて居場所を探し、おおきな影に追われ続けるこどもたちがいる。

純粋なまなざしで、かれらが見ているせかいに向き合う。

 

みたいものだけ見ていればいいの?

なりたいわたしだけ、追い求めればそれでいい?

国境も、言語も、時空すらも飛び超えられるこれからの未来。

 

 

人びとのもつイマジネーションがせかいを如何様にも変貌させられるとしたら、

そこには愛があるといいな。

 

おおきなおおきな、

海のように懐の深い

愛がすくすく育つみらい。

 

労働する動物。社会化していく「わたし」を見据えて…

「もはや、社会とわたしは乖離している・・・?(クエスチョン・マーク)」。

人間は生まれた時には限りなく動物に近い存在ですが、時間をかけて教育を施され、社会に適応する「大人」へと、成長していく。

文明を築き上げ、それを維持・継続していく中で、「人間」としての豊かさを追求していくために、「社会化」は欠かせないひとつのキーワードなのだといえそうです。

ハンナ・アーレントの『人間の条件』を読みながら、人間とは、労働とは、活動とは、仕事とはなんぞや?!と、まじめさながらに感化されている今日この頃。

ちいさく、動きの鈍い頭はとつとつと揺れ動き、油断をすると霞みゆくこの目をめがけて、彼女のことばたちは鋭く突き刺さります。 続きを読む

神々とにんげんをつなぐ花

”たとえ明日世界が滅びようと私は今日林檎の木を植える”

ーマルティン・ルター

2013年の9月に出版された、藤原新也さんの『たとえ明日世界が滅びようとも』という本の中で、その言葉を知った。この本が出版された当時、福島第一原発からわずか20キロ圏内の福島県沿岸部の町へと移り住み、汚染された土壌に咲く花を生け続けたひとりの花人がいた。

神々と動植物、にんげんと。
それぞれの関係性や、あわいをつなぐ存在について。
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昭和のふゆと、大根と。

冬は「ふゆ(増殖する)」の季節である。

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”初期の日本の市場では、三種類の交換がおこなわれていました。市場は山から霊威ある精霊の化身を迎える「接待(イツ)く」庭と考えられるような特別な場所に設営され、そこには山の神をあらわす装束を身につけた山人が、「山づと(山からの贈り物)」をもって、群行出現したことが知られています。山は、里に暮らす人々にとっては、おそるべき霊威に満ちた領域で、そこに満ち満ちている眼には見えない霊的な存在が、市場にあらわれて山づとのような象徴物を、里人との間で交換するというのです。
また市場は歌垣のおこなわれる場所でもありました。若い男女が近隣や遠方からも性的なパートナーを求めて市場に集まり、そこで歌垣を開いて、気に入った相手を探すのです。そこでうまくいくと、将来の結婚相手がみつかります。結婚は女性を仲立ちにして、集団同士が結びつきをつくることを意味していますから、ここでも市場は社会的な交換を実現する場所だということになるでしょう。(中略)
 日本の事例では、市場はきまって冬の季節に開かれた、と折口信夫は書いています。冬が「ふゆ(増殖する)」の季節であったからです。”

中沢新一著『野生の科学』第5章 トポサイコロジーより

昭和の冬はまさにそう、増殖の”ふゆ”だと合点しました。 続きを読む

とびらの前で。哲学入門以前

正月明けのぼやけた頭を、がつんとやられる一冊に出会いました。

今はなき哲学者、川原栄峰さんの著作『哲学入門以前』というものです。
27歳になりたてのわたし自身にむけて、お祝いと激励の気持ちを込めて引用してみます。
ちなみにこの本は、昭和42年11月に発行されたもののようです。

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母の不在、無知の”ち”(知・地・池・値…)

すこーん!と突き抜けるように清々しい朝。
もう何日か経つと、冬至ということで、お日さまの光がてっぺんまで弱まっていく、フィナーレの数日間ですね。

弱まって転ずる。そんな佳境の”いま、ここ”です。
ぬくぬく。かぼちゃ団子。。

 

ひたすら動き続けるなかで、芽生えたひらめきもすぐに掬いあげることなく、泳がせたまま流れに委ねる日々は、一層ふしぎな感覚でながれてゆきます。 続きを読む

森はすでに黒く、空はまだ青い。

マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』の中で放たれるこの言葉に込められた暗示を、わたしはこれから先の人生のなかで、少しずつ紐解いていかなければならないような気がしています。

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「森はすでに黒く、空はまだ青い。」

全8冊からなる岩波文庫版を、読み終えるにはなかなか時間がかかりそうです。

このブログを始めて1年半が経ち、その間自分なりに興味関心があることを深めようと、手探りに人に会いに行き、話を聞いたり、本を読んだり、あちこちに足を運んでは、そこでの空気を直に「感じる」ということを率先して続けてきました。

その甲斐もあり、本来得意であった(むしろそれが唯一の武器であり弱点。鼻に付くもの。)自分にとっての「感受性・感性」というものを鍛えることは、少なからず強化されてきたのではないかと思っています。けれど、裏を返してしまうと、今までの行動は、目的を絞り込みとことんそれについて深めるというよりは、自分が一体”何を”求めているのかをひたすら闇雲に、漠然と”在る”だろう”何か”を探すために、手当たり次第に手足を伸ばし、視界を広げ続けた時間でもあったのだと思うようになりました。

そして実際のところ、そこで自分が「広がり」と感じているものは、あまりにも不安定で、漠然としていて、頼りなく「そう思う」「きっとそうだ」という程度にしか語ることのできない、ゆらゆらと揺らめくような心もとない、成分70%が思い込みの「広がり」と”思える”ものでしかないのでしょう。

ここから先、わたしは何を手掛かりに、どこに向かっていったらいいのか、この間に記録し続けたノートを読み返し、振り返ってみました。 続きを読む

鎧を外し、まろやかなとろ火を。

重たく身に纏っているひとつが、「思い込みの鎧」ということに気づかされるばかりの今日このごろ。

どこまでいっても「わたし」としての一人称の視点が、こんなにもわたし(自身)を苦しめ、身体を重たく纏い付くしてしまっているというのは、言われなければ気づけなかったことである。

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・・・

それと同時に、そうしたことを目の当たりにしたことで、より一層、本来の偏りがちのバランスは歪みを極め、一種極限的な力を発揮することにもなる。。

(もちろんそれは、あまり良いことだとは言えません。) 続きを読む

心を射抜かれた、ことばたち。

こんばんは。
夜も深い時間。途方もなく電気を消耗する日々に逆戻り。ヨクナイ、ヨクナイ。。。

まだまだ旅の気分を抜け切れていない時分に、昭和村で取材したからむしの記事を書き起こしたり、レポートをまとめたり、現地で興奮して反射的に受け取ったのとはまだ違うかたちで、ひとつひとつ、一期一会を振り返っています。

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きちんと振り返るごとに、少しずつ染み渡っていくので、やっぱり受け取って終わりにするのはもったいないなぁと再確認して、今後はどうにかこうにか、そうした土地の人たちのことばや暮らしの景色を発信していけるような土俵をこさえてみたいなぁと、もくもくした構想は膨らみながらも、現実的な段階を億劫に感じて、もくもくもくもく…。まだしばらくこの雲は、肥大化していくことが予測されます。。 続きを読む

昭和村スタンダードを探る。

重たい瞼をこすりながら、現地リポート!・・・

ではありませんけれど。。
あまりにもたくさんの洗礼を浴びた今、ことばに残しておけること(が少しでもあるとしたならば)をさらりと、一旦頭を整理するように、走り書き的に残しておこうかなと思います。

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わたしは今、福島県奥会津地方に位置する昭和村という、小さなようで以外と大きな、由緒正しき(それこそ使い古されたことばのひとつ)” 原風景 ”が今も生き生きと、人々の暮らしと調和した村を訪れています。 続きを読む

自分の感受性くらい…

茨城のり子の有名な詩の一片は、タイトルの通り。

まん丸に追いかけてくるトンコロピーなお月さまや、今にも真っ赤に染まって溶けてしまいそうな夏の日の夕焼け、むせるように肌にまとわりつく湿気を含んだ空気とか、足元に痒みと共に記された幾つかの赤い斑点。

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同じ木は木でも、色も違えば質感も違い、成長の速度、風や光の好み、わしゃわしゃだったりすっきりだったりしゃきーんだったり・・・

そうしたあらゆる自然の要素に、背中を後押しされるように、づんづん・ずんずん。 続きを読む