共同体や家族」カテゴリーアーカイブ

昭和のふゆと、大根と。

冬は「ふゆ(増殖する)」の季節である。

IMG_0260

”初期の日本の市場では、三種類の交換がおこなわれていました。市場は山から霊威ある精霊の化身を迎える「接待(イツ)く」庭と考えられるような特別な場所に設営され、そこには山の神をあらわす装束を身につけた山人が、「山づと(山からの贈り物)」をもって、群行出現したことが知られています。山は、里に暮らす人々にとっては、おそるべき霊威に満ちた領域で、そこに満ち満ちている眼には見えない霊的な存在が、市場にあらわれて山づとのような象徴物を、里人との間で交換するというのです。
また市場は歌垣のおこなわれる場所でもありました。若い男女が近隣や遠方からも性的なパートナーを求めて市場に集まり、そこで歌垣を開いて、気に入った相手を探すのです。そこでうまくいくと、将来の結婚相手がみつかります。結婚は女性を仲立ちにして、集団同士が結びつきをつくることを意味していますから、ここでも市場は社会的な交換を実現する場所だということになるでしょう。(中略)
 日本の事例では、市場はきまって冬の季節に開かれた、と折口信夫は書いています。冬が「ふゆ(増殖する)」の季節であったからです。”

中沢新一著『野生の科学』第5章 トポサイコロジーより

昭和の冬はまさにそう、増殖の”ふゆ”だと合点しました。 続きを読む

『寂しさの力』と『わが母の記』から考える、これまでとこれからと。

しばらく前のこと。荻上チキさんのsession22で中森明夫さんという方をゲストに招き、著書「寂しさの力」についてお話しされていた。

その日はあいにくのお天気で、電車から眺めるランドマーク群は霧雨に霞み、ポッドキャストを聴き終わった後で、映画「おもひでぽろぽろ」の主題歌「愛は花・君はその種子」を聴きながら歩いて帰宅していたら、不思議にも浄化されていくように、泣けて泣けて仕方がなかった。

それからしばらく「寂しさ」の正体について自分でも深めてみたいと思いながらも、なかなかそうできずに、物語調にしてみたりしながら通り過ぎていたのだけれど、今度はcakesで誰もが持つ「さみしさ」の正体として同様の内容が取り上げられており、もう一度それについて考えてみたくなった。 続きを読む

これから家族になっていく

わたしには現在、ふたつの家族がいる。

ひとつは成人するまで育ててくれたわたし自身を含んだ家族。
ふたつ目はわたしが結婚した相手の家族。

いままでひとつだけだった家族が、結婚を機にふたつに増えた。そしていずれは3つめの家族を、今度は自分たちで作っていくのだろうと思っている。

それは3つめでもあり、1つめと2つめの結びつき、延長でもある。
結婚したことで夫婦にはなったけれど、ふたりではまだ家族未満。家族はじぶんたちの力で少しずつ少しづつ、”成っていく” ものなのだと知った。

意識しなくても自然と家族になれてしまう人が大勢いる中で、わたしは「家族になる」ということを必要以上に考えてしまう。
そんな不器用というのか要領の悪い存在だからこそ、家族になる前段階の今からじっくり、家族について考えてみたかった。

読みたくて迷っていて、やっぱり読もうと購入をした雑誌、「考える人」。

表紙の写真があまりにも言い得て妙。
そして気になるテーマはずばり「家族ってなんだ?続きを読む

小さな世界がこれからのカタチ。

極端な話、徹底した世界観を追求したいのであれば、自ら小さなコミューンのような町を作り出したほうがいいのではないか。

千葉県にある、某巨大ワンダーランドの話からそんなことが浮かんできた。

 

先日職場で話をしていて、話は地方の(少しばかり的を外した)活性化について及んだ。 続きを読む