カテゴリー別アーカイブ: 人物について

桜の花の散る頃に。

”死に支度 致せ致せと 桜かな”  ー  小林一茶

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桜が散っていく様をみて、小林一茶はこんな歌を残したそう。
雨続きの週末が過ぎ、ようやくの晴れ間。
お日さまの光があたたかくってまぶしくて、春の盛りはいい香り。

 

今年もまた桜の花が散っていく。
満開に咲かせたひとひらが散っていくとき、
終わりを知らせるその姿があんまりきれいなので、
お会いしたことはないけれど知っていた彼女の死について、
朝から転々と、想いをよせる。

 

そういえば、以前にも、何度かこうしたことがあった。
一度だけお会いした人、何度かお会いして、また会えると思っていた人、
日常の距離感が遠いほど、なんの前触れもなく、唐突に風の便りは訪れる。

すこしだけ距離がある誰かの死は、とても静かで、ひっそり降り積もる。

 

ひとひらのいのち、風に舞って、心地好さそうに旅にでた。

また会う日まで、いってらっしゃい。

冒険の始めかた、あるいは思考する場所

世の中には知れば知るほど、興味をそそられる人や、関心を掻き立てられる人、ぐーっと掘り下げて対峙してみたくなる相手はいるもので、ハンナ・アーレントは、そんな魅力と謎に満ちた女性のひとり。

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願わくば、徐々に徐々に近づいていき、どこまでも透明なまなざしとして、彼女の眼に映る景色や頭の中で組み立てられる様々な断片に触れてみたかった。そこではどんな日常が、思考が、なされていたのか、どういう現実と、向き合い続けた人生だったのだろうかと。

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単純なしかたの、かたちの、方法としての道すじ。

ことばにしなきゃ欲求がふつふつ湧き上がっていた以前に比べて、

現状は休火山のように、そうした衝動はシーンと静まり返っている。

時折揺れ動く感情は、風に吹かれれば飛ばされてしまうし、

雨が降り続けばしとしとと沈みゆく。

そもそも、たくさんのことばはもうすでにいずれも、見渡す限りに溢れかえっているだけでなく、

気がつくと波にさらわれて大きな海の一部に溶け込む。

 

心地よいだろうか、

ひとつになって、

不安だろうか、

輪郭を見失い……

 

背負いこんだ荷物は、すきで集めたものばかり。

時間の使い方だって、囚われを外せば生き生きと弾み出す。

窮屈に退屈をして小言をする間におばあちゃんにはなりたくないし、

だれかのためを装った言い訳は、だれが見たってお見通し。

 

「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」。

もう十分に、だいじななにかは、いずれのだれかが残しているし、

鮮明で、近ずいて、つい触りたくなることばもあれば、

苔むした森の奥、ひんやり硬く年月を超えた、石のようなことばも佇む。

 

どちらにしてもことばは表面。

それらを通して、はじまる交流。

 

 

意味性も無意味性も総体化してみたい。

にんげんが作り上げたあれこれじゃなく、神さまが与えてくれたものは、手ばなしちゃいけないよって、喫茶店のマスターの受売りだけど、お気に入り。

 

 

”もう一度結びつける”場所

クートラスは”生”が好きだった。どんな醜悪な姿でも生きているものの姿が好きだった。

クートラスは愛情のある視線に見守られていることがいつも必要だった。

クートラスの描く天使は可愛い顔をしてハートを差し出しているエロスである。
優しくて子供のように純朴な、ちょっといたずらっ子っぽい表情で飛んでくる。
それで、油断していると、一瞬のうちに、とてつもなく大きな力に揺るがされ、夜よりも深くて暗いものが身体を包んでしまう。そんな神話の入り口みたいな接吻というのがあるものだ。……

『ロベール・クートラスの思い出』より

静岡県長泉町、ベルナール・ビュフェ美術館にて会期中の企画展、
ロベール・クートラス 〜僕は小さな黄金の手を探す

「僕のご先祖さま」の一枚と出会い、直感的に惹かれた相手。

出会って、対面し、彼と晩年を共にした岸さんの著書を読み、直感は計り知れない共感となりました。

彼の”生”へのこだわり。愛を求めて与えて、使い果たしていくような繊細さ。

残されたカルトやご先祖さまの肖像のなか、クートラスはいつまでも生き続けることができる”永遠性”の居場所を生み出せたのかもしれません。

こんなにも生きることにいのちを使えた彼が、たまらなくいとおしい。

    

 

”ままならない「わたし」”を見つめて。

「書くこと」から遠のいてしまって、すっかり習慣から離脱している。

”書く”ことだけでなく、その時折に感じたり考えて”いる”ことをことばにしていく作業すら、もどかしさが漂う年初めでもあります。

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スッキリ!ではなく、もんわり、もわもわ。

そんななか、書家として活躍されている華雪さんが、(馴染みとなった潜りの授業において)とっておきのことばを届けてくれました。 続きを読む

自然とにんげん、変わらないこと。

満月の夜は、なにやらそわそわと、どこかでもぞもぞと、なにかが蠢きあっているような、

ざわついた感じが漂いました。それもすでに過ぎたることの真昼のさなか。

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風の勢いに応じて流れゆく雲は、自分がどこに向かってどこに流れ着くとも知らず、

少し早すぎるから速度を遅めようなどと、調整する隙もなく、

風そのものの勢いや流れに身を任せ、どこまでも過ぎていくし、流れに乗っては運ばれていく。

 

どこかに到着し喜びを噛み締めることもなければ、移動の最中にかたちはどんどん変わり続ける、かなしみもうれしみも、流れ流れ刻々と変化。 続きを読む

宍道湖のあお。〜プロローグ〜

旅はどこから始まるのでしょう?

考えたことが、あったようでなかったようで。

−−−

今回、島根県出雲市から、大田市温泉津、松江市の手しごとを巡る旅(フィールドワーク)のプロローグは、後にも先にも、”宍道湖のあお。” でした。

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新幹線でも飛行機でもなく、窓の外を流れる景色に立ち止まり、寄り道をして。

これから出会う人や目にする出来事を予感させる、そうした導入効果としてのプロローグのあるなしは、旅の印象そのものに大きな影響を与えるでしょう。

 

今はまだ、上手な言葉が見当たりませんが、

宍道湖のあおは、わたしの記憶に確かに記録されています。

 

中條 美咲

 

心を射抜かれた、ことばたち。

こんばんは。
夜も深い時間。途方もなく電気を消耗する日々に逆戻り。ヨクナイ、ヨクナイ。。。

まだまだ旅の気分を抜け切れていない時分に、昭和村で取材したからむしの記事を書き起こしたり、レポートをまとめたり、現地で興奮して反射的に受け取ったのとはまだ違うかたちで、ひとつひとつ、一期一会を振り返っています。

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きちんと振り返るごとに、少しずつ染み渡っていくので、やっぱり受け取って終わりにするのはもったいないなぁと再確認して、今後はどうにかこうにか、そうした土地の人たちのことばや暮らしの景色を発信していけるような土俵をこさえてみたいなぁと、もくもくした構想は膨らみながらも、現実的な段階を億劫に感じて、もくもくもくもく…。まだしばらくこの雲は、肥大化していくことが予測されます。。 続きを読む

大丈夫。まだ間に合います。

いろんなことがありました。
人生ってどこまでもどこまでも深く広く入り組んでいて、深めれば深めるほどに、暗くてしんどくなっていくかといえば、ある瞬間に急に光が差し込んで、びっくりするような開放感を味わうことになったりもして。

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そのどれもが自分ひとりでは行き着けなかった場所であり、出会えなかった人であり、気づけなかったことだと思えば思うほど、ひとつひとつのご縁がとても愛おしいもの・ありがたいものに感じられるようにもなって。

ことばの無力さをひたすら痛感しながらも、こうして稚拙に、ことばを信じて紡いできてよかったと、こころの奥底に、ストンとひとつの小石を置くような気持ちで、この1年間の出来事をするっと振り返ります。

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昭和村スタンダードを探る。

重たい瞼をこすりながら、現地リポート!・・・

ではありませんけれど。。
あまりにもたくさんの洗礼を浴びた今、ことばに残しておけること(が少しでもあるとしたならば)をさらりと、一旦頭を整理するように、走り書き的に残しておこうかなと思います。

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わたしは今、福島県奥会津地方に位置する昭和村という、小さなようで以外と大きな、由緒正しき(それこそ使い古されたことばのひとつ)” 原風景 ”が今も生き生きと、人々の暮らしと調和した村を訪れています。 続きを読む

自分の感受性くらい…

茨城のり子の有名な詩の一片は、タイトルの通り。

まん丸に追いかけてくるトンコロピーなお月さまや、今にも真っ赤に染まって溶けてしまいそうな夏の日の夕焼け、むせるように肌にまとわりつく湿気を含んだ空気とか、足元に痒みと共に記された幾つかの赤い斑点。

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同じ木は木でも、色も違えば質感も違い、成長の速度、風や光の好み、わしゃわしゃだったりすっきりだったりしゃきーんだったり・・・

そうしたあらゆる自然の要素に、背中を後押しされるように、づんづん・ずんずん。 続きを読む

彼女のまなざしが向かう先。

いよいよ今週末(あと2日!)で会期が終了する「ヘレン・シャルフベックー魂のまなざし」展について記しておこうと思う。

テーブルの上には、展覧会で思わず連れ帰った図録。シャルフベックのまなざしが、じーっとじーっと。こちらを見透かして、どこか遠くへと、その思いを投げ打っている。

ほんのわずか、顎先をキュッと尖らせて・・・

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山門をくぐり耳にした「かなしきのうた」

「かなしきのうた」阪村真民

たたけたたけ
思う存分たたけ
おれは黙って
たたかれる
たたかれるだけ
たたかれる

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早朝の山門をくぐり抜け、鎌倉円覚寺の夏期講座で和尚さんから耳にした詩の冒頭。
「かなしき」とは、鍛冶屋の鉄砧(かなしき)・鉄床のことを歌っているそうで、和尚さんはこの詩になぞらえ、「たたかれてたたかれて揺らがないものができる。そしりとほまれの間で揺らぐことがない(精神)が生まれる」と、無関門「離却語言」についてお話をしてくださいました。

今期で80回目の開催となる円覚寺の夏期講座、4 日目に集まった人々はおおよそ千人。
お堂から溢れた人は廊下や下駄箱、縁側や庭先に溢れ返り、みな熱心に姿は見えずともマイク越しに聞こえてくる講師陣のお話しに耳を傾けます。
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ことばと白玉と、心地のよい「あお」

沈んだ白玉が浮かび上がるのをすくい上げるように
そこに現れるのは、できたてほやほやの真っ白な「詩」であるような。

浮かんでくるのを心待ちにするのでもなく、
ときおり「ことば」は自らぽこぽこと浮かび上がる。

浮かび上がった「ことば」のひとつひとつを、
丁寧にすくい上げたいという気持ちはゆっくり確実に、育ちつつある。

いつかの「ことば」は
考えて発されるものではなく、あちらからぽこぽこと浮かび上がってくるものだった。

そういうことばは数少なくても、
初めてピアノの鍵盤を指で叩いた子どものように、
変幻自在に躍りだす。

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島でうまれ、島でそだち、島を出て、島に帰る。

瀬戸内の小さな島・豊島。

その日は朝からザーザーと、強い雨が打ち付けていた。

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前日に泊まった民宿は、築80年の古民家。古民家と聞くと聞こえはいいけれど、それは掃除や手入れ、あらゆる目線が行き届いて管理されている場合であって、島の古民家はなかなか濃ゆい。

ふだんから鍵をかける習慣はないようで、至る所の窓や網戸の隙間から、多くの蚊や蜘蛛、虫たちの侵入があることはどうしたって仕方がない。人間以上に、人間以外の生き物たちの息遣いがそこかしこから感じられる、豊島は緑深いそうした島だから。 続きを読む