せぬひまのおもしろさ

帰り道。

さいごの坂をのぼるとき、大勢の野良猫とすれ違う。

金曜の夜は特に多い(気がする)。たぶん気のせい・・・

 

大体10匹くらい。公園に続く急階段だったり、茂みだったり、ジッとして動かないのもいれば動いてちょっとあたふたするのもいたり。

最後の最後はラスボス的な三毛がじーっと道の真ん中に佇んでいる。

どんなに接近してちょっと脅かしてみても絶対に動かない。

 

この佇まい、尊敬する。

 

小学生くらいのとき、

金曜の夜に黒猫を見ると八つ裂きにされちゃう。みたいなこわい話を読んでほんとうに怖くなったこと、今でも思い出す。

 

雨・嵐になると玄関先まで避難してきた赤い首輪をつけたひょろひょろに痩せた黒猫(通称 ジジ)。最近めっきり見かけなくなった。

どうしたんだろうとちょっとだけ心配になる。

 

お寺があってお墓があって。鈴虫やコオロギの鳴き声と、風でいろんな木や葉っぱがカサカサしている音の重なり。

そんな音に包まれたあと、部屋の明かりをつけるのはひどくがっかりする。

 

だからじーっとしていたい。部屋の明かりは60ワットくらいで良さそう。

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「せぬひまのおもしろさ」。世阿弥がいったことばらしい。

「なにもしないときのおもしろさ。やらないでじっとしている間がどれほどおもしろいかとか、一回り歩くだけがどれほどいいかとか、そのところがたまらない。」と白洲正子さんと河合隼雄さんの本で語られいて。

「百万人に一人の暇人」とジィちゃんこと青山二郎について語るところなんかも最高で。

そこで白洲さんは「何もしない人というのは、なくてはならない存在。」「青山二郎がいるから小林秀雄が出てくる。」と話していて心底納得。

 

目に見えるかたちで何かを生み出した とか、何かをしてもらった とか。それすら超えて。

存在だけで対の相手を刺激して駆り立てて。

そういう関係がみえないところで根を張るから、一方は眩しいばかりの光を浴びて、一方は暗くひっそりと佇んでいたりして。

 

これってまるで昼と夜。

交感神経と副交感神経。

 

自然の摂理。

一方だけではとても続かない。

だからふたり必要。双方が相反して完成。

 

お金を生み出すものと、生み出さぬもの。

生み出すものばかりじゃ狂ってしまうから、せぬものの有り難さを感じる。

 

「せぬひまのおもしろさ」とは大分かけ離れたけれど、この本は間違いなくわたしのバイブル。笑

 

・・・対談後半で白洲さんが、とても恥ずかしそうに・・・

私、いつか青山さんから「おまえは、俺と小林のおかまの子なんだからしっかりしろ」って言われたことがあったんです(笑)

というくだりがあり、ここ最近でもっともおもしろくて感慨深い内容でした。
辿り着くのは両性具有の美であり青山二郎的存在というあたりなのでしょうか。

 

わたしにその境地はまだわかりませんが、本物かどうかより、そんなあれこれがなによりも。
興味は津々と降りつもるばかりの秋の夜長です。

それではこの辺で。

 

中條 美咲