とても大きく見えて、もろくて弱い

藤原新也さんの Shinya talk は大方信頼を寄せている情報源のひとつなのだけど、その中で「吉田調書」についての内容が書かれていた。

今回たまたま「吉田調書もプリントアウトして製本し、パラフィン紙包みにし永久保存したいものだ。」を読んでようやくこの話題が、随分かけ離れたところから、自分の地点まで降り掛かってきた。

藤原さんも指摘されているように、今回のこの騒動はもしかするととんでもなく

ヒョウタンから駒のごとくありがたいこと

これに尽きるんだと思う。

 

結果的にはここに至るまでに沢山の嘘?やホント?、いろんな人を経由して塗りたくられた情報から、勝手な解釈も意図もない真っ新に近い記録・その時の現実の全貌が国民の誰もが見れる状態になったという皮肉。

Shinya talkを読んだ後、インターネットで「吉田調書 全文」と検索し、政府事故調査委員会ヒアリング記録の中の吉田昌郎さんの《2011/7/22 事故時の状況とその対応について》を読んだ。

これだけでも50ページほどの内容に及ぶ。内容は1号機で水素爆発が起きる直前までの詳細。

 

本当に生々しい。
本物を動かすことに対する意識の階層だったり、
最後はもう手動で被爆さえすればなんとかできるかと腹を括ったけれども近づけなかったという現実だったり・・・。

 

ここに掲載されている全てに目を通すことは出来ないかもしれないけれど、いのちをかけてその場に留まり、どうにか食い止めようとしてくれた人たちが ”いた” ということを、各々で少しでもリアルに感じることが、この騒動から学べる何よりも意味のあることのように思った。

 

人の持つ想像力を買い被りすぎたのか、コンピューターのシステムさえあれば何事もコントロール可能、電気があって当たり前。の意識から被ってしまった代償はあんまりにも大きい。

 

コミックス 風の谷のナウシカ7巻で、ナウシカがオーマに名前を授ける場面。

あなたはとても強い力をもってるやさしい子
でも立派な人になるにはそれだけではだめ 力のおそろしさも学ばなければいけないの

世界を敵と味方だけに分けたらすべてを焼き尽くすことになっちゃうの

わたしのいいつけを守って立派な人になりますか? —

こんな場面で持ち出す話ではないかもしれない。これはあくまでもフィクション。作り物であり、大きくみえて、現実の前ではもろくて弱い想像力の世界。

私たち世代はこれから母になり父になる。

そういった力の恐ろしさ、想像力の脆さに向き合い、そこでうまく消化できなかったとしても、それぞれの身体を通してとりあえず飲み込む。

そこからしか本題には進めないのかもしれない。

 

引き継ぐのはいつだって無垢でまっさらなこどもたち。とても大きくて限りない想像力をどう使っていくか示していけるのが(良くも悪くも)大人の役割。

 

それではこの辺で。

中條 美咲