話し方ってその人の個性をいちばん象徴しちゃうんじゃないか。
少し前から、そんなことをふつふつと考えたりしている。
見た目の個性とか以前に。話し方に全てがぎゅーっと濃縮される。極端だけど。皮ごと丸ごと絞りました!の果肉入りジュースみたいに。
テレビを見る機会が減って、本は相変わらずポツポツ読んだりして、以前と何が変わったかと言えば、耳から入れる情報が少しばかり増えたということ。
「ラジオ版 学問ノススメ」をおすすめされてから、わたしはこの番組がとても気に入ってしまい、移動の時間があると過去の回に遡って聞くことにしている。
本を読むのが物理的に難しい徒歩での移動や、本を読むほど集中力はないかなという時でも、耳からの情報収集は本当にストレスフリーで時には音楽を聴く以上の癒しになったりする。
この番組は蒲田健さんという方が司会をされていて、毎回必ず話の聞き手は彼が務めている。
あらゆるジャンルの大御所さんから、今が時代の全盛期!とばかりに活躍されている人まで、とても個性的な面々を相手に毎回のテーマに沿ってお話を伺っていくという流れ。
最大の前提条件として、まず始めに蒲田さんの安定感は半端でない。
どんなツワモノゲストが登場したとしても、彼は常に同じ立ち位置にいる。多少圧倒されることがあっても、そこで怯まない。そして基本的に受容の姿勢を崩さない。
声自体も深くどっしりとしている。頷くときの重厚感、話す速度。
蒲田さんがほんとうに安定しすぎているから、どんな相手がゲストでも、聞き手のわたし自身も安心して話に耳を傾けることができる。
この前提条件はとても大きい。
声について、人それぞれ思うことはあると思う。学生時代、自分の声にとてつもなくショックを受けた経験もある。自分で聞こえている声と、自分以外の人たちに聞こえる声がこれ程違うものかなと…結構な衝撃として今でもよく覚えている。
性格や見た目は自覚だったり心がけによって多少変わることができても、声そのものを変えるって難しい。だから実は、目で見ることに慣れた今でも、それだけでは安心とか心地良さに繋がらなくて、声を聞いてほっとしたり安らかになれるんじゃないかしらと思う。
一番は触れ合うで二番目に声を掛け合う。
それくらい親密なものが、人間だけじゃなくて生きものが発する声には秘められている。
だから耳からの情報は自然で心地いいんだなーというのがひとつ。
声自体は持って生まれたものだとして、話し方には人それぞれの生きてきた背景(考え方、信念みたいなもの)が満ち満ちている。
饒舌な人、ひとつひとつ噛み締めるように話す人、機関銃みたいに相手が息を止めちゃうくらい勢いが止まらない人。自分のなかでぐるぐるしちゃう人。とても静かにぽつぽつと言葉を発する人・・・。ミックスver.とかも挙げ出したらまさに百人十色。
で。そんな中わたしが最近好きなのは、チャーミングな話し方のひと。
たとえば 谷川俊太郎さん。谷川さんの話し方、声色。
85歳の谷川さんが、「朝愛し合うのは夢うつつでいいよ」なんて話をひょうひょうとしている様は本当に愛らしかった。
意外なところで小林秀雄さんの話し方もとてもチャーミング。文章で読むと、あんなにも堅く凛々しいのに。意外すぎて拍子抜けしてしまった。
可愛らしさとはまたちょっと違うけど、養老孟司さんは常にさっぱりしていて、独特の間合いを必ず挟んでくるあたりが心地いい。
話し方ひとつ。なんの予備知識がなくても、それだけで十分なようにも思う。
日々あらたなものが押し寄せて古いものが押し出されていく中で、情報の中身などあってないようなものかもしれない。
ただただ印象として。話し方や間合いが残っている。残せている。それは凄いことだなと。
話すことや伝えることがもどかしいなと思えてならない最近は、そんな風に魅力的な話し方ができる人たちに自然と惹かれてしまう。みんないい年のおじいさま方だけど。(要注意!)
あと、対談の場合は互いの呼吸によって、本当にたくさんのことが見えてしまう。
人によって生かされ、人によって暴かれて。
自分の立ち位置なんて最後まで、他の誰かがあってようやく。少しずつ少しづつ定まっていく。
そんな意味では、一方的な講演のようなものはきっと本人にとっても(聞き手にとっても?)忍耐や訓練が必要で、対談のような相手がいるほうが、よりその人の人間性はにじみ出てしまうのかもしれない。
そんな考察。ちゃんちゃん、と。
それではこの辺で。
中條 美咲