秋雨前線

「秋雨前線」ということばが好きだ。響きがいい。

ひおうぎとテッポウ百合を飾った。ぬば玉という黒い種の出現がたのしみ. . .

季節がまたひとつ。”かちり” と針を進めた、9月。

 

 

友人から一枚のハガキが届いた。画廊を兼ねたレストランではたらく彼女。

木々の絵を描く作家さんの展示のお誘い。ハガキの絵をみていいなーと思う。

木々っていう響きもいい。

手書きの文に勝る贈り物はない気がする。とてもうれしい。

 

 

仕事中の休憩時間にコーヒーを飲みながら、途方もない話を永遠と続けるのがすき。

Aさんの友人の結婚式の話からなぜか葬式のはなしになって、田舎の葬式のかたちがあたたかみがあっていいよね、とか。葬式ではじめていろいろな人の中にあるその人物の人となりが明らかになるんだねとか、自分の両親にいずれ人の手が必要になったときにどうしたいかとか。ずーっと長く続いてきた実家が自分の代でなくなっちゃうのはいやだね。とか例えばそんな。永遠ループのはなしをよくする。

大抵結論は出ない話ばかり。ここでそんな話をしても少子高齢化が加速を緩めることもない。

 

仕事に直接関係ない(話したところで直接の利益や効率が生まれる訳でもない)自分の価値観とか、人生観みたいなもの。をそんな風に共有しながらはたらくって最近とても大切なことのように思う。

しごとと暮らしがぷっつり途切れていない感じが心地いい。

どこにでもある日常の光景。そんな景色が貴重だったりもする。

 

 

昨日みた「萌の朱雀」という映画。散り散りになっていく家族とそこに残されるであろう赤い屋根の大きな家をおもうと、人が住まない家程さみしいものはないと思った。

 

拠り所はどこなのか。

できるだけ時間をかけて、先延ばしせずに、自分たちの拠り所を探したい。

たいせつなものは意外と少ない。守るべきものも然り。

 

”かちり” と音を立てて、9月。

目が覚めたように。

 

それではこの辺で。

中條 美咲