久しぶりにホットコーヒーを挽れた。
今週の真昼は、夏の意地を見せつけられるような高温と、全身に纏わりつくほどにじめじめとした湿度の高い日が関東では続いた。
ミーンミーンと鳴く蝉の勢力は縮小され、代わりにツクツクボーシと鳴いたり、ギギギギギィーと鳴いたりする蝉がメジャーに躍り出た。蝉以外にも、夜になると鈴虫のような(多分鈴虫ではない)リーリーリーリーと涼しい音色の聲も聴こえてくるので、いよいよ夏もあと数える程で過ぎてゆく(何処へいく?)んだなーと感じている。
此処までくればあっという間だ。
それでもやっぱり夏はしぶとい。
特に夏の夕暮れの光の強さにはハッとさせられる。
これでもかというくらい、夏の持つエネルギーを見せつけられている気分になる。
夏は、そう簡単には退かない。
コーヒーは、豆を挽いている時と、初めに” ちょぼッ ちょぼッ” と数適熱湯を注ぎ込む瞬間がとても楽しい。
豆は簡単には挽かせてくれない。堅さがある。意地も?ある。だからといってがむしゃらになってはいけない。・・・そう思いながらいつもがむしゃらになっている。
挽いた豆と共に、香りが立ち上がる。
「コピ・ルアク。」挽いた豆の真ん中を指でへこませる。かもめ食堂でやっていたおまじない。
実はコピ・ルアク、猫の糞から摂れる超希少なコーヒー豆のことらしい。
猫の糞・・・・。
最初の数適を注ぐ。豆をいっぱいいっぱい膨らませたい一心に。
はじめの一滴が滴り始めたら、あとはゆっくりと注いでいく。今日の出来映えは、如何なものか?・・・と
コーヒーはここまでの段階がとてもたのしい。飲むよりも、この贅沢な瞬間のためにコーヒーにとりつかれる人も少なくないのかも。
出来映えはいつも違う。ほんとうに全然に。
だから余計に面白い。思い通りにいかないから奥が深いのか?・・・
そんな(夏)の午後のひと時ほど、生きている。今、しあわせだなぁ。なんて思えたりする。
” 生きねば ” って、「風立ちぬ」のキャッチコピーだったけど、実はナウシカ7巻の最後のことばもそれだった。
「さあみんな 出発しましょう どんなに苦しくとも」
生きねば…………
最後に。
広島ではとても大きな被害の渦中で今も心細く過ごしているヒトたちが大勢いる。一方のわたしはとても穏やかな気持ちで日が暮れていくのを眺めながら一杯のあたたかいコーヒーを飲んでこれを書いている。
生きるているということは残酷だと思う。
誰かの上。何かの上。あらゆる生きものの上に立ってようやく成立しているから。
それを気にしていたら肉も魚も食べられないし、どこかで誰かが死ぬ度に気持ちを病まなければならない。
そうしているには情報が多過ぎるし時間はそんな感傷を待ってはくれない。
だとしたらわたしにできることは・・・・「?」
あっという間に日が暮れた。風は涼しく半袖では肌寒い。
「愛しい」ということば。日本人はあまりこのことばを口に出したがらない気もする。
わたしはこのことば、この感情をとても大切にしたいと思う。
愛しいの先に ” 慈しみ ” があるような気がするから。
恥ずかし気もなく。まずは ” 愛しい “ から、はじめてみませんか。と
それではこの辺で。
中條 美咲