また大きな大きな自然災害が[広島県]で発生した。
”また” というのはとても失礼で無神経な気もする。けれどこれだけ頻発する自然災害を思うと ”また” という表現の方が素直な感覚のように思う。
「異常気象」「ゲリラ豪雨」「局地的」「観測史上最大」「未曾有」「想定外」・・・・・
東日本大震災を皮切りに、それ以前からも毎年耳にするこのような言葉たち。
九州・中国地方ではあれ程の大雨が続いていたのに、関東は真夏のように晴れ渡り、蝉が鳴き、ジリジリとした湿り気のある暑さが続いている。
「同じ空の下」とは耳にするけれど、ほんとうに同じ空の下の出来事なんだと思うのには随分感覚を研ぎ澄まさなければならない。。
「同じ空の下」であり「地続き」の地で起きてしまった自然災害を思う。
タイトルがあまりにも直球で真に迫ってきた。数ヶ月前に書店で目にして思わず購入し、そのまま読まずに本棚に集積していた。倉本 聡さんの「ヒトに問う」という一冊。
19日(災害の前夜)。帰宅してから、不意にこの一冊を読み始めた。脚本家・倉本聡さんが3.11後、2年半にわたり書き綴った自然、文明のあるべき姿、現代への警鐘が書かれている。
翌朝。土砂災害のニュースを知って、この本について書こうと思った。自分の言葉で感想を述べるより、書かれている直接の文章を引用させて頂く方が間違いないと思うので、少し長いけれど引用したいと思う。
まえがき
かくして人類は自然から離れ、人間だけの快適空間に都合良く逃避し地球を無視することを始めた。(中略)
考えてみればヒトの歴史上、衣・食・住の手法。これに勝る発明はなかったのではないか。
文明社会は進歩を進める。求めるというよりそれを追求する。追求しまくる。
しかし自然には進歩というものがない。自然の営みに右肩上がりはない。そこにあるのは「循環」のみである。ではその両者間に矛盾はないのか。その1 進む「覚悟」戻る「覚悟」
もしかしたら今の文明というものは、”あたりまえ” にさからい、それを敵にし征服しようという敵意に充ちた挑戦ではなかったか。そう思うことが最近時々ある。
暑さを寒くし
寒さを暑くし
冷たさを熱し
熱いものを冷やし
暗さを明るくし
時を速くし
それを成し遂げると快適!と叫び、満足感に盃をあげる。その5 地球は変動している
生命誕生が40億年前。
生物誕生が6億年前。
恐竜死滅が6500万年前。
以後様々な種の生物が現れては消え、現れては消えるが、その原因は全て天体としての地球システムの変動の結果である。
人類が現われ、ある種の知性を身につけてから、我々はこの、地球変動の人間への影響を「災害」という言葉で呼ぶようになった。
地震も津波もまさにこれである。
だが人間の文明が肥大化すればするほど、その変動=災害の影響は大きくなる。(中略)変動の跡は生々しく美しく、現在我々の云う世界自然遺産はことごとくこの変動の跡を示している。変動し易い場所は再び変動をくり返す可能性を含んでおり、ヒトの美意識にとってそれは ”美しい” 風景である。
その10 ヒトへの回帰
このシリーズのタイトルを “人に問う” とせず ”ヒトに問う” とした。何故「人」ではなく「ヒト」なのかと、何人もの人に質問され、その都度僕はこう答えてきた。
この問いを僕は、地位とか立場とか身分とか”しがらみ” とか、個人の事情とか組織の事情とか、貧富とか思想とか職業とか利害とか、更に云うなら民族とか国家とか、そうしたあらゆる束縛を排除した、地球の上の何億という ”命” の中の微小な存在としての人類というヒト。その一人としての「あなた」に対して真剣に考えて欲しいと思い、ヒトという片仮名を使ったのです、と。
僕らは偉くなりすぎてしまった。(中略)
だから我々は地震や津波や、熱波や旱魃や集中豪雨を平然たる態度で「災害」と云い切る。果たしてそれは災害なのだろうか。宇宙システムの中にあって、それは単なる当然の変動で、それがヒトにとって不利益をもたらすから一方的且つ独善的に災害という言葉で呼んでいるのではあるまいか。
最後に。
これほど に”怒り”が露になってしまう位、倉本さんの「人間」はたまた「この国の人々」に対する憤りは膨れ上がっている。それを高みの見物 として傍観しているばかりで本当にいいのだろうかと徹底的に突きつけられました。
地球が次の段階に進もうとするとき、恐らく世の中では多くの災害や人災が頻発するのでしょう。戦争も増え人々は不安になり、何が自分にとって味方で敵なのか。コントロール出来ないものは全てが仮想の敵となるのか…。今はまさに後々乱世と言われるような荒んだ状態かもしれません。
自分ひとりが始めたところでなにも変わらない。それの積み重ねが巡り巡ってあらゆる災害(局地的だったり、観測史上最大だったり)の一助になっている。その可能性があることを自分自身に問うべきなのだろうと(実際には多くの言い訳が先に浮かんでしまう程、情けない自分ながらも)この本を読み、今回の災害をうけて痛切な思いを感じています。
本書にある進む「覚悟」戻る「覚悟」や先日書いた「風の谷のナウシカ 〜物語の断章を伝承するもの〜」「ジブリ、熱風、サハラに吹く風」の中で紹介した本にも書かれている進んで貧乏になる決意ができるかということは通じています。その時わたしは「答えはまだずっと先」と書き(逃げ)ましたがずっと先まで考えたり保留にしている時間はないのかもしれません。
圧倒的な不安を抱え、頼りないながらも いま、ここから。先送りせずに生きねばです。
今回の災害で被災された方々のご冥福を心よりお祈りします。
それではこの辺で。
中條 美咲