声を小にして呟いてみる

ちょっとした不平不満。

あんまり不平や不満は口にしたくはないけれど・・・

たまには「まぁいいか。」全く大したことではないのだけれど。

 

最近めっきりと”着飾る”ということから遠ざかりつつある状態で、機能性重視というか、まぁその他にも理由はいくらかあるのだけどめっきりスニーカー+リュックサックというスタイルが定着しつつある。

元々はバカがつくくらい服飾、装飾には興味があり、それこそ月に何万も一着の単価が高い洋服や靴などを購入してはその都度物欲を満たして自己満足に満たされたりしていた。

今はそういう生活に興味がないかと言われればそれは嘘になり、そこそこの安定した収入やボーナスがあれば、好みは変われどまたそういう楽しみを享受することになるんだろうとも思う。理想は普段着がマーガレット・ハウエルというような…

 

そんな感じで、ここしばらくウインドーショッピング的なことは随分していなかった。

今日はお休みで夕方、気分転換にみなとみらいに行った訳だ。横浜のまちは道路が広く、人も都内程溢れていないので自転車で走るのはとても気持ちがいい。

 

みなとみらいにも去年、大型のショッピングモールが出来て、都内まで出向かなくてもそこそこのアパレルショップはその周辺で事足りる。

今は丁度セールが始まったばかりなので、まあ買う気はないとしても何かしらの発見や掘り出し物がないとも限らない。

ただ・・・どうしても気になってしまうのが店員さんの視線。別に今に始まったことではないのだけど。なんだかとても敏感に避けたくてしょうがない心持ちで満載になってしまう。大体話しかけてくるタイミングを見逃すまいと狙っている辺りからしんどい。手にとってどんなだろうと広げてみた瞬間に話しかけられたりしてしまうと気になった商品があっても手にとって広げることすら気合いがいる。結果、リラックスして見て廻ることも出来ずに足早に退店するという。

まぁもともと購買意欲のない客の戯言なのだけど。

たぶん、これも随分身勝手な偏った意見というのを承知の上で・・・

 

これだけネットでの物流が日常生活に欠かせないものになってしまった今。リアルな店頭で求められるのはもっと違った接客スタイルなんじゃないかと思う。極端なことを言ってしまえばそれはもう”接客”云々ではなくなっていくような気も・・・

それこそ販売員は今の半分でも十分事足りる気がする。作り手側が何を伝えたいのかさえその空間を使って示していけば、消費者は自由に時間をかけてそのブランドの持っている精神性みたいなものをその空間の中で体感出来て必要であれば店員に何か尋ねる程度というか。。

まあ何事もとやかく言うのはとても簡単なので、声を最小限にして…。

 

だって今は本屋さんで本を購入しなくてもお茶を飲みながらその時間内で情報が仕入れられてしまうというような時代な訳で。どうしてそんな事が成り立っているのか、からくりはよく分からないし、本屋さんにしてみたらたまったもんじゃないのかもしれないけれど・・・。

 

所有することの意味すらうすぼんやりとぼやけているのかもしれないし。

まとまりなくそんなことを考えた休日でありました。

 

 

最後に。

不思議なもので・・・上京したての頃は憧れのアパレルショップの店員さんと少しでもお近づきになりたい!と心から思っていた時期もあったりしたのですが。良くも悪くも年を重ねると擦れてしまうのか。ひねくれおばばみたいです。困った困った。

でも本来、この人が言うのなら間違いない!とか。少なからず店員さんの”個”としての魅力みたいなところを頼りにする部分はあるんだと思います。それがすべてマニュアル化されて表面的に同じようにつくりあげられてしまった中でそういう魅力的な”個”をもった販売員さんに会うのはとても難しい。こちらもはじめから拒否の姿勢を持ってしまうので余計なのでしょうが。

 

結局いちばんいいのは”作り手の顔が見えるもの”を買うということなのかもしれません。

そうすればそんなことに悩まずとも直接的にこちらが吸い寄せられていくようにその”もの”の持つ魅力を最大限受け取ろうと開いていくのですから。

そしてそれはもはや”商品”ではないのかもしれません。先日テレビでたまたま志村ふくみさんという人間国宝で染織家の方を追ったドキュメンタリーを見たのですが、ふくみさんの言葉や仕草のひとつひとつに染め物、織物、生きる姿勢に至る魅力が涌き続ける水のように溢れていて一気にファンになってしまいました。

そうなるとやっぱり行き着くところは「消費」ではなくなってしまうという・・・

まことに生きにくい世の中よ・・・笑

 

それではこの辺で。

中條 美咲