”知りたい”という欲求ほど、行動を駆り立てるエネルギーに代わるものはない。
最近よくそんなことを感じています。
先日、世田谷にある J i k o n k a さんというギャラリーで行われた、花道家 上野雄次さんの「花いけ教室」に参加させて頂きました。
私がお世話になっているフラワーショップの店主が、花いけバトルというイベントを通して上野さんと知り合ったことが、わたしも上野さんを知ることになるきっかけでした。
今日は、上野雄次という人と「花いけ教室」で感じたことを中心に書いていこうと思います。
まずは 教室が行われた場所。而今禾 J i k o n k a のコンセプトを。
”而今は、今という今、今この瞬間。禾は穀物の総称で、なくてはならない大切なもの、命の糧という意味。而今禾は私が考えた造語。今この時に感謝して生きる、今をどう生きるか、そんな思いを込めて。(米田)”
日曜の朝、東京は強い雨が降っていた。
世田谷の閑静な住宅街。大きな一本の木を目印に而今禾がある。
その建物はとても不思議なつくりで、空気感も部屋ごとにガラッと変わり、入り込んだ瞬間、自然と気持ちが解放されていくのがわかる。
地下の玄関先には、この日使うであろうお花たちが並べられ、玄関を入った先のお部屋にはたくさんのあらゆるかたち、素材の器ものたちがテーブル、棚、壁際。所狭しと置かれている。
2階がメインの展示室のようになっていて、その奥に小さな床の間があった。
はじめにこの床の間で、上野さんが生けたお花を鑑賞。なぜこのように生けたかなどの説明をし、一度そのものをばらし、どのような順序で生けたのか(仕掛け等)解説をしながら、もう一度同じように生け直すという手順で前半が進んだ。
流れを並べ立てたところで、上手く説明出来る自信もないので、印象に残ったことを脈絡なく挙げていく。(必ずしも上野さんがその通りにお話されたということではなく、私の解釈に寄ってしまうかもしれませんが。)
まず植物について。人は古くから植物に神が宿るとし、神を祀るところには植物を立てた。これは日本だけではなく世界中に共通している。
立っているということは地球の重力があってそれに反していることになる。高らかに立っている植物を見ると自然と生きているように感じるのはそういった人間の通底にあるバランス感覚なんじゃないか。なので、上手く立たず、横たわっているものをみると生命力の逆を感じやすい。
水分というのは生き物にはなくてはならないもので人間も殆ど水分で構成される。作品を活ける上で花瓶など(水がありそこから水を吸い上げているという起点)は物語りの全貌を伝えるには必要で、仮に切り取った一部分を表現したいのであればなくてもいい。
床の間に生けてあったその作品は、蔦で隠れているけれど、背後に花瓶があることがわかり、そこから水分を吸い上げる枝もの。その枝を蔦が伝い上昇し一気に夏蔦が枝垂れ落ちる。その左中央の一点から一輪のクレマチスが前面に向けて身を乗り出している。
これは循環を現している。
花を生けることについて話しているのだろうが、殆どが花に限らず物事全てに共通する循環や性質や傾向。なんだか真理みたいなものを花に例えて垣間見せてくれているんじゃないかとすら思えた。
「僕に知力はなくお話しできることは実感したことだけです。」と言っていたけれど、実感でこれだけのことを考え受け止めながら花に向き合っている(生きている)人なんて世の中にどれくらいいるんだろうと考えてしまった。
そのように前半を終え、今度は地下の器が沢山あるお部屋に移動し、好きな器と好きな場所、そして花を選び自由に生けてください。と
こんな風にすべてを自由に決めて生けて下さいというのは多分、とっても難しいように感じた。
何が正解かもわからない中で、それでも正解に近いように、見栄えよく、あっと驚かせたい!などそこに渦巻く感情は様々。
わたしはこの空間と上野さんの花に対する姿などから、わりと感情が開放されていたので開き直って思いのまま生けてみた。
これは少し手直しして頂いた写真。
並べられたお花を見た時、乙女百合のこのうつむいたような仕草に目が止まり、この子に決めた。雨の気配を感じさせるように水分をふんだんに含んだ実物と葉物で根元の部分を支えるように。
自分が生けたものはもう少し全体的に詰まった印象で百合の下支えもなく不安げだった。それが少しの手の入れようで随分スッとした印象に変化。
あらためてお花に向き合うことが楽しくなって、また、こんな風に花を生ける機会を作っていきたいと思った。
最後に。
上野さんが色々な場面で口にしていた「素直ですね」「素直じゃないですね」という言葉。
太陽の当たる向きに顔を向けるのが本来の自然な姿。それに反する姿は不自然で素直とはいえない。
素直でないということは強い意志にも繋がる。
生けた花を見ただけで、その生け手がなにを考えどんな性格なのか見透かされてしまう。
花に限らず文章もきっと。
強い意志を持てる程の確信や自信がないわたしには、今のところその時々の感情や流れに素直に反応していくということが、大切になってくるような気がした。何度も言っているような気もするけれど何度でもあらためて。
それではこの辺で。
中條 美咲