今日は父の日です。
私の父は誕生日も近いので、毎年何をプレゼントすべきか迷います。そろそろ一回りして、さぁ次は一体何を贈ろうか。モノを贈るということも考え過ぎてしまうととても悩ましい慣習ですね。
そういった意味では”モノより思い出”がいいのかなぁ。と思えるようになりつつあるこの頃です。
そして、父の日にも関わらず・・・今日は”母”と子の関係について。
先日奈良県 興福寺に行った際に、目についた多川俊映さんという興福寺貫首の方が書かれた「合掌のカタチ」という本を読みました。
京都奈良の旅をきっかけに、仏教や仏像などについて色々知っていきたいと思っていたので、タイトルから”合掌”に込められた意味や仏様の手で現される印についてなどが書かれているのかと思ったのですが、想像とは全く違い、現代社会を通して筆者の方が何を考えられているかというような内容でした。
全体を通してつくづく改めさせられる内容だったのですが、中でも相当な印象に残っている”とある手紙”の内容をそのまま引用します。
圧倒的な母親
親子の関係が今、いろいろ問題になっています。どうしたらいいか ー。偏に、親の側の問題です。男親の家事への参加が叫ばれていますが、中心はどこまでも母親だというのが、私の考えです。そして、親と子は同列ではない。(中略)
とにかく、子どもにとって母親は圧倒的な存在です。ですから、母親たる人は、オタオタせず、どっしりと構えていて欲しい、ということをお願いせずにはいられません。
参考までに、阿部晃工(1906〜66、昭和の左甚五郎といわれた彫刻家)の母の手紙を紹介します。”手紙を見ました
大分困つて居るやうですね
お父さんには まだ見せません
帰ると云ひますが それはいけません
前の手紙で云つてやりましたやうに今 家は大変です
一銭の金も送つてやれません
母はお前を天才児として育てて来ました
母はそれが誇りだつたのです
今はお前も一人前の人になりました
その一人前の人間が食べられないから
帰るとは何事です
乞食でも野良犬でも食べて居ます
お前は野良犬や乞食にも劣る
意久地[意気地ー引用者、以下同]の無い男ですか
母は末つ子のお前を甘やかして
育てたのが悪かつたのですけれど
そんな そんな意久地なしには育て[てい]ないつもりです
食べられなければ食べずに死になさい
何で死ぬのも同じ事です運命なのです
病気でもあれば どんなことでもしてやりますが
一人前の男が食べられずにどうしますか
お前は母がいつ迄も優しい母だと思つているのは間違ひです
そんな意久地なしは見るのもいやです
帰つて来ても家へは入れません
死んで死んで骨になつて帰つて来なさい
私の子は勉強中食へなくなつて
死んで帰つて来ましたと云つた方が
近所へ対しても申し訳が立ちます
そして一日も早くお前の死んで帰る日を母は待つて居ります四月十一日 母より
喜二郎どの”
以上。 かなり衝撃的です。
実際にこの阿部晃工という方は、実の母からこのような手紙を受け取り完璧なまでに突き放され、覚悟を決めなさいと背中を押されたのです。
そしてこの章の最後を著者はこのように締めくくっています。
戦後、女性は強くなったといわれます。その通りだと思いますが、しかし、母性は底が浅くなったと感じます。私の母親は明治の人で、社会的活動もせずにじっと家庭にいた人ですが、何か底知れぬものを感じさせられました。
以上、皆様の子育ての何かしらの参考になれば、幸いです。
最後に。
女性は強くなったが、母性は底が浅くなったように感じる ー 。
これについては筆者の多川さんが様々な人と接する中で実感された感覚で、私には明治の女性がどれほどの底知れぬものを抱えていたかも想像でしか考えることが出来ません。
手紙の内容だけでもかなり強烈であることは窺い知れますが。
私自身に多大な影響を及ぼした宮崎駿監督の作品中に登場する女性たちも、そういった意味ではとりわけ魔女的な”底知れぬもの”を抱えて圧倒的存在感で物語りの手綱を握っていました。
この辺りの”底知れぬもの”の正体を探りつつ、いずれは私も母として”母性”というものに直面する機会が訪れるのでしょうか。
折角の父の日にも関わらず・・・。
お父さん方は日頃、何かと気苦労も多いでしょうから今日は目一杯家族に甘えられるといいなーと思います。今日はお父さんが主役の一日です!
それではこの辺で。
中條 美咲