ちまちま更新してゆきます。前回からの続きです。
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宇治から京都に戻ってきたら、すっかりいい時間。京都の終いは早い。本当は昼からレンタサイクルを借りる予定が…すっかり昼間を過ぎてしまった。
今更キャンセルも出来ないので、予約していた自転車を調達し、”建仁寺”へ向けて出発。
日差しも弱まりサイクリングにはちょうどいい時間帯。京都のまちはバスよりタクシーより自転車がいい。
今回は予定が押してしまった為、それほど存分に活かせなかったけれど、それでも自転車を借りて良かったと思う。町中をただ走っているだけでも数えきれない位、無数のお寺が目に入る。
聞いたことのないような小さな寺から、大きな寺まで。
軒並み連なる木造の京町家がそこかしこに。
そして小さい川(高瀬川)と大きい川(鴨川)を渡ったあたりに建仁寺があった。
川の周辺もとても良い。若い人に人気なのか心地良さそうなカフェや飲食店が集結していた。皆一様に夕涼みに集まってくるのだろう。場所柄か浴衣姿の方も多い。しだれ柳がよく似合う、川自体の雰囲気、赤々とした明かりの色。用事がなくてもふらっと訪ねてしまいそうな世界だ。
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そんなこんなに心を奪われているうちに、目的地に着いた。
建仁寺を知ったきっかけは先日まで上野、東京国立博物館で行われていた「栄西と建仁寺展」だった。参照:「”胃”の中の蛙大海を知らずー栄西と建仁寺展に行ってー」
この時は生憎の体調不良で、宗達の「風神雷神図屏風」などは朦朧とした中で鑑賞したのだけれど、今回は万全な調子でゆったりと京都最古の”禅”の世界を垣間みた。
本坊から入って直ぐの板の間に黄金に輝く「風神雷神図屏風」が置かれている。こちらは高繊細プリンターの複写とのこと。(トーハクで朦朧と見たものが本物)本物・複製は置いておいて、風神雷神に限らず、”美術館で鑑賞するもの”と、”寺の中、お堂の中にあるもの”では同じ屏風や襖絵、仏像ではあっても(仏像は特に)、その意味合いが全く違うような、そんな気がした。
一気に心がストンと落ち着く。一歩外に出れば祇園のまちという華やかな場所なだけに、まず入り口で宗達の屏風と金澤翔子さんの書で心を鎮めよとのことなのだろうか。
続いて「◯△□乃庭」「潮音庭」方丈に移動して「大雄苑」という枯山水の庭園「竹林七賢図」や「山水図」など。
中庭の「潮音庭」を囲むように参拝、観光客のそれぞれが好きな場所をみつけて座り込み、庭を眺めながら各々時間を過ごす。とてもいい眺めだった。
こんな場所が近くにあったらどこかのカフェにいくより、余程有意義な”空”時間または読書時間を過ごせるんだろう。
つくづく庭はいいなーと思った。
この辺でもう十分に満たされてしまうのだけれど、本尊釈迦如来座像の安置される法堂「拈華堂」へ。
入堂し、天井の「双龍図」に思わず圧倒される。ものすごいエネルギーといった感じ。
以前、覚園寺で伺ったのだけど、龍というのは水を司る神なので、仏様の教えを雨粒として降らせてくれているそう。なので、龍の下で仏様と目が合う位置でお参りするのがご利益?倍増だそう。
格子から入る僅かばかりの夕刻の光が堂内の陰をより深めているようで、ますますお堂の中の空気が引き締まる。と同時に時折風が入りふわっと幕が揺らめくと気持ちもふっと緩む。おもしろい。
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名残惜しい気持ちで帰り際、坊主のシンプルで愛らしい御朱印帳を手に入れて、ますます”仏”の世界を深める気合いが高まってしまうのでありました。
その後、祇園、錦市場へと向かうのですが、今日はこの辺にしときましょうか。
はんなり京ことば、芯は強く外はまあるく。色気があってええなぁと。…
つづく。