神宮 希林 わたしの神様

樹木希林さんは、音だけでも「き」が3つ、漢字にすると「木」が4つも並んでいる。

なまえだけでも、ずいぶん「木」と縁の深い女優さんだなぁと。発見!

予告編

 

”伊勢神宮”と聞くと、しばらく前から(いつの時代も?)パワースポットとして流行っている。という印象の方が先に浮かんでしまう程、わたしは”伊勢神宮”について、なんにも知らない。

 

式年遷宮というのは、20年に一度、すべてのお社を立て替え、神様が新しいお社にお引っ越しする儀式のことだそう。それが行われたのが去年の10月。準備は2005年から始まった。

なぜ20年ごとなのか?なぜお引っ越しが必要なのか?

多くを知らないけれど、どうやらこの儀式はずいぶん古く 1300年も昔から、かたちを守りながら今に続いているらしい。

芭蕉も ”尊さに皆おしあひぬ御遷宮” と詠んでいるくらいなので、当時からたくさんの人が遷宮をみようと集まっていたんだろう。

 

見ようと思っても、それはとても神聖な儀式なので日が沈んだ夜に松明の照明のみで人目に触れられぬように行われる。普段からも正宮には御簾がかかっているため、参拝の際も正宮の中はほとんどみえない。

希林さんが「人間っていうのはみえないと感じにくいのよねぇ」というくらいなので、大半の人間は本能的に見えないものを見てみたいし、見えない分覗いてみたくてたまらなくなるんだろう。

そして、見えると安心できる。感じたようにも思える気がする。

 

この映画を追っていると、”見ること”はさほど重要ではないと思えてくる。

見えなくても、わからなくても、ただただ尊く守られてきたものがあるということがなんとなく腑に落ちる。

 

何事のおわしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる   西行

 

養老孟司さんがパンフレットに寄せた寄稿文の中にこの詠をあげている。

理屈ではどうにもならないことがあるということだ。

 

樹木希林という人間と、どんなお姿なのかもわからない神様。ふたりとも、一筋縄ではいきそうもない。そんな存在が、この世の中には貴重でたまらないのかもしれない。

 

 

最後に。

 

最近、少しずつ、”知らないこと”を知っていくことを始めました。

そうすると、おもしろいように、いろいろなことが繋がってきます。そんなタイミングでこの作品に出会えたことがうれしくてたまりません。

東海テレビという地方局で、元々は特別番組の企画として持ち上がったらしい本作。信じられない位、すばらしいドキュメンタリー映画でした。

全国の小中学校でこういう作品を題材にすればいいのになー。なんて思ったり。

 

 

お願いではなく 感謝、感謝。

それではこの辺で。

中條 美咲