鎌倉・寺めぐり・この国のかたち

鎌倉にある覚園寺を初めて訪ねたのは、昨年の冬頃だったと思う。

二度目の訪問は新緑の鮮やかな4月中頃だった。

そこは、どちらかといえばあまり世の中に主張せず、その場所で800年もの間ひっそりと息をひそめている。そんな佇まいがある。

境内は自由に参拝することが出来ず、決まった時間ごと和尚さんの先導のもと拝観することになっており、写真撮影も禁止されている。

表向きはこじんまりとしているにも関わらず、境内に足を踏み入れると奥行きがあり、そこに広がる樹木の豊かさ・多様さには驚かされる。とくにこの季節の緑は本当に生き生きとしていて本堂の中からお庭を振り返ったときの風景はとても味わい深い。

およそ1時間かけて寺にまつわる話から仏教での死後の捉え方(六道輪廻について)などを丁寧に説いて下さり、そのうえお経まであげて頂ける。

二度とも参拝者は自分たちの他に1組だけで(両日とも休日)本当にありがたいことだと思った。

というのも、そこは鎌倉の中でも当時の面影を最もよく残しているお寺とされていて、他の開かれている大きくて立派なお寺よりもずっと豊かさを感じられる。
閉ざされているというのとも少し違う気がするけれど、あえて開かずに一定の制限を設けることで守ること・伝えることを大切にしている。そういった場所は今の時代とても貴重だと思う。

本堂の右奥に鞘阿弥陀像がひっそりと佇んでいるのだけれど、この阿弥陀様はしっとりとしていてなめらかでとてもきれいだった。

仏様にもいろいろな表情があって、男性的だったり女性的だったり、厳しそうだったり、優しそうだったり…まるで人間みたいでおもしろいなあと思った。

梅雨になれば紫陽花もきれいに咲くことだろう。

覚園寺に限らず、鎌倉には季節の草木がとても多く、古くからの樹木もそのままの姿で保たれているものが多いように感じた。そのままといってもほったらかしではなく、きちんと人の手が入っている。人の手が入り過ぎているのもなんだか面白くないようにも感じるし、これでもかという一定の線を越えて作り込んでしまえばそれは芸術的なものとして新たな価値を見いだしてしまうのかもしれない。

どちらにしても鎌倉に住む人たちは草木や樹木のある暮らし方を自然と身につけて共に日々の季節の移り変わりを楽しみながら愛でているのではないかと思った。

たった電車で30分たらずの場所にも関わらず、歴史を残している場所というのは得るものが多いとあらためて感じた。

 

 

最後に。

わたしは熱心な仏教徒でもなければ、実家には神棚と仏壇の両方があります。初詣は神社に行く事もあればお寺に行く事もあり、それについて疑問を持った事もあまりなかったように思います。

最近になり、日本という国がどのように成り立ってきて今に至るのか興味を持ち始め、それと同時に古来から持ち続けてきた(受け継がれてきた)日本人独自の感性にもっと触れてみたいと思うようになりました。

受け継がれてきたと書きましたが、実際に自分自身がそういったことを受け継いでいるのか?と考えてみると、そうではないようにも感じます。いつの頃からか私たちは守り・伝えることよりも豊かになることに重きを置くようになりました。それがいいとか悪いということではなく、目に見える・かたちがあるものばかりに左右されてしまったことで忘れてしまったもの・置き去りにされたものも多いのかなと。

そこに還ろうとか、取り戻そうとまではいいませんが、継いでいくことは必要なことのように思っています。

まだ全巻は読めていませんが司馬遼太郎さんの著書に『この国のかたち』という表題の作品があります。この本はそういったことを知る上で不可欠な存在になることは間違いないと思うので、この中で語られている特に印象に残っている箇所を部分的に引用させて頂き、随分立派な面影を残して終わろうかな、と思います。

この国のかたち

結局、日本における儒教は多分に学問ーつまりは書物ーであって、民衆を飼い馴らす能力をもつ普遍的思想(儒教だけでなくキリスト教、回教など)として展開することなくおわった。

つまり、民衆個々を骨の髄まで思想化してしまうという意味での作用はもたなかった。

ー  日本人は、いつも思想はそとからくるものだと思っている。
とはまことに名言である。ともかくも日本の場合、たとえばヨーロッパや中近東、インド、あるいは中国のように、ひとびとのすべてが思想化されてしまったというような歴史をついにもたなかった。これは幸運といえるのではあるまいか。
そのくせ、思想へのあこがれがある。

思想とは本来、血肉になって社会化さるべきものである。日本にあってはそれは好まれない。そのくせに思想書を読むのが大好きなのである。こういう奇妙な ー得手勝手なー 民族が、もしこの島々以外にも地球上に存在するようなら、ぜひ訪ねて行って、その在りようを知りたい。

ー文藝春秋出版 司馬遼太郎著『この国のかたち』より

 

ここが出発点になりそうです。それではこの辺で。

中條 美咲