「ボクが「灯台もと暮らし」を立ち上げた理由 」と、題された(株)Wasei 代表・鳥井弘文さんの講義を聞いていて、ハッとしたことがある。
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ブログ「隠居系男子」でもおなじみの彼は、わたしと同学年。昭和の終わりに生まれ、平成とともに成長し、スタジオジブリのあり方をこよなく愛す。
『かぐや姫の物語』は完璧で美しく、虚しくて残酷な映画。|隠居系男子
白でも黒でもなく、あいだの中道。穏やかな佇まいと鋭い洞察力に惹きつけられて、一念発起!鳥井さんを訪ねて行ったのは、2014年1月末のことでした。
古いノートを引っ張り出して、お会いする直前の決意表明?を読み返してみると、こんなことが書いてあった。
”2014.1.10ーーただ、実際に会うとなると、自分にはまだ実行していることもなく、漠然とこんなことが仕事になったらいいなぁ、という程度のものはあるにしても(それはすでに鳥井さんが実現しつつある)そのためのセオリー的なものはわたし自身にはなく、がっかりさせてしまうのではないかという不安もある。実際にお会いするからには次へとつなげていきたいし、何かしらを協力できるくらいの立ち位置に位置づけられたいとも思う。ただ、そのためには今のような漠然としたままでは、てんでダメで、もっと明確に掘り下げていく必要がある。自分が興味あること、大切にしていきたいこと、もっとこんな風にしていきたいなど・・・それが自己満足を越えて、多くの人(でなくても)共感してもらえたりするためにはどうしたらいいのか。
自分自身に説得力がなければ届かないし、目に止まったとしても通り過ぎてしまう程度ではだめ。自分自身の強みはなんなのか・・・今はまだ遠すぎて見えない場所。ーー”
“2014.2.2(お会いした後日)ーー結局、物事は全て「やるかやらないか」なんだと思った。 あれが足りないとか、今はまだ早いとか、うだうだ言っている間に機が熟すのを待っていたらあっという間に・・・というわけだ。理想を現実に。そろそろベンチをはなれよう。ーー”
懐かしくって、先走りすぎていて、恥ずかしい。でも、こうして久しぶりに原点回帰をしてみたら素直にうれしくなったのは、たしか。
それから彼は、コツコツコツコツ積み重ねていき、2015年1月に「これからの暮らしを考えるウェブメディア 灯台もと暮らし」を立ち上げた。
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鳥井さんがお話する中で、わたしがハッとした話に戻ろう。
彼は、「灯台もと暮らし」を始めた動機を3つあげていた。
1.消えていくローカルをアーカイブしたい。
2.新しいローカルの暮らしを伝えたい。
3.これからの暮らしを考えたい。
1の理由を目にしたときに、いくつかの感情が行き交った。
消えていくことを前提としたアーカイブ。それは一見すると残酷にも思われる。「消えないために〜」ではないところに軸足をおいているんだなぁ、と。言い換えると、失われていくことをまっすぐみつめて受け入れている。けれど、失われていくものは、実はローカルに根付いた暮らしや風景に限らない。
わたしたちの命もまたそれぞれに、失われていく。
そのことをちゃんと見据えている。だから残酷なようでいて、とてもあたたかい気持ちになったのかなと思う。
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鳥井さんの足取りに比べたら、わたしのそれは本当にゆっくり、ゆっくり。
「紡ぎ、継ぐー見えないものをみつめてみよう」というテーマを掲げたおかげで、その後、奥会津「昭和村のからむし」と出会うことになる。
昭和村はわたしにとっての原風景が詰まっている。この島の奥行きと、人びとのたくましい生き様がいまに続く、数少ない場所。
ゆっくりながらつながりを広げていって、2017年秋〜「灯台もと暮らし」で福島県大沼郡昭和村特集が始まった。
やってみるとかたちが生まれる。
まだまだ未完成で、いびつなかたちではあるけれど。
大事なひとに伝えていきたい、かけがえのないたからもの。
「自分にとって納得感のある働き方、暮らし方とはなにか?」という彼からの問いかけにはこう答えてみたい。
「自分の直感を信じて」ノックしてみる、やってみる。
そうすれば少しずつでも確実に、つながりは深まり、広がっていく。
たったの4年は大きな4年。
こうして少しだけ振り返りつつ、まだまだ道の途中から。