食べものと、環境と、自己治癒力。

気持ちがはやる春。週末、思いつきで那須へ向かった。

天気も薄曇りで、北はまだまだ冬のなごり。
わずかに細雪がちらついていた。

目的は湯治、湯に浸りたかった。
那須には好きな温泉がある。その名も「鹿の湯」。

洗い場もシャンプーもドライヤーもない。
目的はシンプルに。服を脱いで、ただそこに身を浸すだけ。
常連さんも多く通う、生粋の湯治場。

鼻をつく硫黄の匂いと、白濁した湯。温泉の花がふよふよしていて、あぁいい気持ち。
41・ 42・ 44・ 46の小浴場と、42.5℃の大浴場と全部で5つ。

ウォーミングアップは大浴場。慣れてから44℃を試すも、長湯は厳禁。
46℃は未到達。

ひたひたの湯船に肩まで身をひたす。
ふにゃふにゃにふやけた手のひらに、なぜだか子どものころを思い出した。

お風呂を上がってしばらくすると、芯から汗が湧いてくる。からだって素直だなぁと嬉しくなって、また春から頑張ろうってきもちになった。

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と、長い前置き。ここからが本題。

せっかく那須なので、イメージ(?)に寄り添って「那須 自然食」というキーワードから「HIKARI SHOKUDO」というお店を訪ねることにした。

おしゃれな佇まいに気圧されながらも、そのこだわり加減に、おもて向きだけじゃない確かな意志にコツンと触れた。

お店のコンセプトは”ヴィーガン、オーガニック、サステーナブル”。ど直球な思いをつめ込んだエシカルヴィーガンレストランとして、独自で選んだ自然食品も扱っている。

”ヴィーガン”。
言葉は耳にしたことがあるけれど、わたしにとってはいまいちピンとこない。少し遠くに位置する言葉。

言葉だけでは距離があるけど、食べてみると、思いは伝わる。
食べものの本領はそこにある。

野菜の味わいに頬がほころび、「美味しさの由来はなんだろう?」と、そのものの背景に、すこしづつピントを合わせる。

お肉もお魚も、卵も乳製品も使っていない植物から生み出される味は、
スッキリとしていて、こっくりとやわらかかった。

帰り際に気になったので、シェフさんに尋ねてみることにした。
「ご自身もヴィーガンなのですか?」すると、「4年前に完全に移行しました」との返答。

シェフさんがヴィーガンへ至ったきっかけは、学生時代から抱きはじめた「環境問題への関心」にあると聞いて驚いた。

1.お腹いっぱいに食べたい

2.美味しいものが食べたい

3.美味しくて体にいいものが食べたい

4.地球や環境にとっていいもの、かつ美味しいものが食べたい

それは本来あるべき姿に、ぐるりと戻ってきている感じでもありそうで。

もちろん地球環境のために、ヴィーガンになることだけが道ではないけれど。ひとつの意識・意思として、こうした生き方を選択して、実践している人がいるのはかっこいいなぁと素直に思った。
(次回はじっくり、もう少し話を聞いてみたい)

『たべることは つながること』
海に、山に、大地につながり、動物たちの命をもらって成り立つからだ。

つながり続けるその方法を、にんげんの先輩たちは長いあいだ身体感覚で守って伝えてくれていたんじゃないかしら。

そうしたことを数日考えていたところ、たまたま下記の記事を目にしてしまい、今度は地球を超え出た宇宙に託す「人類の未来」「にんげん」存在について、ぐるぐるぐるぐる、接続している。

亡くなったホーキング博士が、「人類の未来」について語っていたこと

たくさんのきれいごとが、きれいごとで済まされないくらい現実問題に取りざたされるこの時代に、私たちが過去を生きた先輩たちから学ぶことは、まだまだ山積みに、託されている。

そうしてあちこち、とっちらかるのは、春の宵。

最後に一枚。

写真は、昭和村の農家民宿「とまり木」のキヌイさんが手製で振舞ってくれる季節の食事。
そのほとんどは野山の、大地の素材で作られていて。人は、土から離れては生きられないと言った、彼女を言葉を反芻している。