食べるの”闘い”と、生きるという仕方。

降って降って降り続いた雨が上がると、
忘れたつもりで箪笥の奥にしまいこんだ残りの暑さを思い出す。

あぁ、まだ暑くなるのね。つい先日のはずの夏が、やけになつかしく感じます。

気分はすっかり秋なので、おすそ分けしてもらった栗を剥いて栗ごはんをつくりました。

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実家の畑でとれた栗。

彼は栗を剥きながら、実の中に姿を隠す虫たちとの格闘。

「こんな思いをしないと食べれないなんて…」と軽く絶望を感じていたようですが、
美味しいものを食べるために、虫もひとも必死。

食べる営みは”闘い”そのものだなぁなどと、また浮遊したりしながら、

丁寧に虫の居所を取り除いた栗ごはんは甘くておいしかったです。

 

先週は立て続けに話題の映画を2本観ました。

「君の名は。」と「シン・ゴジラ」。

「君の名は。」は、物語の中盤、飛騨の奥地に設定された糸守町にまつわるストーリーに不思議な因果関係を覚えて鳥肌が立ち続けました。

「シン・ゴジラ」にも通ずる話かもしれないけれど、震災という共通した痛みを分け合った私たちが、無意識下で共有した苦しみを治癒していく営みの過程において、生み出された作品なのだろうなぁということ。

人間の力では及ばない「いのり」の意味の重さというか。。

「結ぶ」ということばと行為に込められた人々の営みそのものの厚みだったり。
それはまた、いまわたしが関わり続けている昭和村でのからむしを通した営みにも重なるなぁとか。

 

悪意なく、姿を現してしまったゴジラを、大量の武力で殺そうとする振る舞いがなんとも痛ましかった。

子守唄や舞を舞って、「静まりたまえ」って海に還るようにさとしたい。
そういう営み、「いのり」の効果というのか、意味の深さを、できればもっともっと日常のなかに回復していきたい。

  Vivre est le métier que je veux lui apprendre…

ルソーのことば。最近知って、もうすこし知りたいと思っています。