近所でかわいいスズランが咲いていたので一本だけ摘み取って一輪挿しに飾ることにしました。春ですね。(写真は29日撮影。今日は春の嵐です)
三月も残すところあと二日となりました。
色々と書いてみたいな、書かなくちゃ。と思うことは頭の中を常に高速で通り過ぎていくのですが今一歩、これにしよう!という決め手がない。
そんな状態では納得がいかず結局書くに至らず時期を逃す・・・という全く生産性もなければ時間だけが過ぎてしまう。そんなじれったさに付き纏われた三月でした。
おそらくこれからもこのじれったさや悩みに付き纏われる日々が続くのでしょう。
今日はこの雑然とした気持ちを残念な痕跡としてここに記そうと思います。
自分自身はどこに旗を立てるのか・・・
ブログを始めるきっかけとなった『隠居系男子』を読んでいると鳥井さんの本気度が猛烈に伝わってきます。そのくらいのエネルギーを持って実際に行動しているのが伝わってくるので本当に凄いと思います。情報量ももちろんですが、何よりも熱量がすごいです。しかも毎日決まった時間に更新するというアスリート並みの自己鍛錬を重ねているという。。
ああいった人がどんどん新しい風穴を開けていってくれたら、ほんとうに面白いことが世の中の至る所で自然発生的に巻き起こるでしょうし、もっと違ったかたちの生き方を若い世代の人たちはそれぞれで見つけていけるのではないでしょうか。
何故、今までと違う生き方を求めるのか・・・
そもそも平成育ちの私たちは世の中不況と言われ続けた時代に人格形成し成人し、今に至ります。
不況といえども世の中はモノで溢れていますし、衣食住に困ることはまずありません。
そんなに切羽詰まらなくても、ある程度いいものが低価格でなんでもそろってしまう。そんな時代に育ちました。
社会的なインフラも整っていますし、自分が声高々に何かを主張していかなくともどこかの誰かがそれをやってくれていた。
大半のモノは既に与えられていたように感じます。
はじめから与えられたモノなので、それのありがたみを考える機会は少なかったのかもしれません。
くるりのprayという曲がありますが、就職したばかりの頃、朝の満員電車に押し込められる自分を含めた人たちをみて、この曲を聴いて涙が止まらなくなったことをいまでも覚えています。
働く意味とか生きる意味、自分の価値なんかは元々あってないようなものなのかもしれません。
プロフィールでも少し触れましたが私は宮崎駿監督のアニメとともに育ちました。
となりのトトロ公開の年に生まれ、リアルタイムでほぼ全ての作品を観てきました。
子どもの頃はただただ楽しくて、トトロが好きで「さんぽ」の歌をいつも歌っていましたし、トトロにギュッと抱きつきベイゴマで空を飛ぶシーンや雨乞いのおまじない?でぐんぐん芽が出て森になってしまう場面などは本当にわくわくしました。
耳をすませばで雫が聖司くんのヴァイオリンに合わせてカントリーロードを歌う場面に何度キュンキュンしたことか・・・。ナウシカはオウムの攻め寄せてくる映像と歌がなんだか怖くて二十歳近くなるまで最初から最後まで観ることは出来ませんでした。
そんな中でも圧倒的に自分のど真ん中に突き刺さった作品、それが『もののけ姫』でした。
映画の冒頭、アシタカせっ記の音楽とともにタイトルが浮かび上がり霧に囲まれた深い森、タタリ神が登場するまでのただならぬ雰囲気。当時9歳の子どもにはあまりにも鮮烈すぎる作品でした。成長するにつれて、あのときの感覚はさらに自分の中心にむかって様々なことを問いかけてくるようになりました。
「生きろ。そなたは美しい」
「曇りなき眼で見定め、決める」
宮崎アニメのなかに生きる彼らは、それぞれに自分の力ではどうすることも出来ない定めを背負っています。そこに真っ向から向かっていく。これが自分にとって都合がいいとかそんなことは関係なく。どうしてこんな答えの出ない作品ばかり生み出すんだろう?・・・いろいろなドキュメンタリーや本から垣間見る限り、宮崎監督は多大なる矛盾を抱えて生きていることがひしひしと伝わってきます。そこに答えなどない。矛盾を矛盾として受け止めて、真っ向からそこに対峙していく。
最後に・・・
随分話が思わぬ方向に向いてしまいました。
私はどこに自らの旗を立てるのか。それについて考えようと思ったのですが。。
要は宮崎駿さんのような矛盾を抱え苦しいことを承知の上でそこに対峙し続ける人がどうしようもなく大好きということです。
全く答えになっていません。
どうしようもないなと思います。
それでは今日はこの辺で。
中條 美咲