あっという間に7月も残すところ二日となりました。
月日の流れがこれほど早く感じたことは初めてです。
初めてと同時に、今後はますます、こうした回転は早まって感じられるようになるのでしょうか。
年を重ねなければ、気づけないことはこれからまだまだたくさん有りそうです。
今日はよく歩くことと、よく生きることについて。
みなさんは「歩く」時に、なにを考えていますか?
何かを考えながら、音楽を聴きながら、特になにも考えずに、なんとなく…
そこには、単には括れないいくつもの「歩き方」があるということを、ジリジリと暑い灰色の道を、とつとつと歩きながら漠然と考えました。
ある時から、わたしは「歩く」ことに、必要以上に意識を傾けるようになりました。
できることなら、ただなんとなく歩いていくよりも、歩くことに意識を向けて、一生懸命歩きたい。そんな感じです。
そうしたところ、「意識して一生懸命歩く=とても早足」になっていました。
ひとりのとき、気がつくと、びっくりするくらい黙々と、せっせと、すたすたと歩いてしまう癖がつきました。
一人でせっせと集中して歩くことは、それはそれで気持ちが良いのですが、そんなときにふと気がつくと、自分では一生懸命集中して歩いていることが、時々他の人への圧迫感や焦燥を煽る行為になっているのじゃないかなと思い至るようになりました。
より良く歩きたいという気持ちは、より良く生きたい。という気持ちへのつながりであるようにも思います。
そうだとしても、自分がそうしたいからといって、前を歩いている人を変に急かしてしまったり、不安にさせてしまったり、「自分が歩くこと」ばかりに意識を集中していては、とても周りとの調和や、心地よい安心にはならないだろうなと、思い至りました。
ここ1,2年ほど一生懸命に、自分が「よく歩く」ことには意識を向けてきたけれど、もうそろそろそればかりでいても仕方がないというか。
どうしたら調和や安心、柔らかな共感のまなざしを持ったひとになれるだろうかと、随分遅れながらも、そうした思いに行き着きました。
ほんの少し前に、これからはできれば毎日、一定の文量の中でその時々のきもちを綴って行きたいと書いていましたが、ほんとうは今、この場所を拠点にどうこうするということではないのかなぁと、ようやく思い始めました。
それに、わたしよりもずっと経験もあり、肩の力が抜けていて、毎日決まった時間に一定の分量で、そうしたことばを伝えてくれる存在は、もう既にたくさんいることです。
わたしが今、挑まなくてはならないのは、静かなこの場所にとどまり続けることではなくて、もう少し広い世界。
いろんなひとがたくさんいて、常に常に動き続け、強い風や痛い視線や、おっかない声や、あたたかな手が差し伸べられ感じられる場所。
これほどに情けない気持ちを持ったままでも、そうした荒波、突風、旋風に晒されるなかで、きちんと現実的に、手触りのあるかたちにしていく作業へと、取り掛からなくちゃならないのかもしれないなぁと。これから始まる怒涛の夏に向けて、考えを少しばかりシフトチェンジです。
まだまだ、出会いたいひと、聴きたいおはなし、踏みしめたい土地の感触、自分でよく歩き学ばなくちゃならないことはたくさんあります。
夏場はそうした時間を一番大切に、このブログも少しばかり更新をお休みして、しばしの熟成期間に入ろうかとも思います。(気が向いた時にはもちろんぽつぽつ。あとは、過去に記した記憶たちを再稿したりするかもしれません。)
どちらにしても、今後は調和と共感の姿勢を意識して、何事にも取り組んでいきたいものです。
それぞれが、実りある秋を迎えられるように、充実した残りの夏を過ごしましょう。
(あと、ツイッターからページに飛んだ時の、変わってしまったテーマ。どうしたらいいんだろう。。の悩みを秋までに解決したいものです。)
それではこの辺で。
中條 美咲