責任とか、継続ということが久しく苦手だった。
「だった。」のではなく、今も苦手「だ。」
責任とか継続は、続いていくこと、繋げていくこと、積み重ねていくことの重なり合いで成り立っている。
成り立っているというよりむしろ、「継続」していく先に、自然と伴う「責任」があるのかもしれない。
バラバラに啄ばんできたコツとコツ。
どれもがあっちへ散らかり、そっちへ散らかり。
散らかりあっては、てんで バラ・バラ。
そうしたバラとバラ、コツとコツを、少しづつでも積み重ねてみたくなった。
バラ・バラを持ち寄り、コツ・コツと重ねる作業だ。
その”コツ”は何ですか?と聞いてみると、オシショウさんはこう言った。
慌てない、慌てない
すこしづつ、すこしづつ。
とにかく、コツコツにつきます。
繰り返すように復唱してみた。
「慌てない、慌てない。すこしづつ、すこしづつ。とにかく、コツコツ。コツコツにつきます。」
そういえば日本には古くから、「骨(こつ)をつかむ」という諺もあったっけなぁ。
語源を検索してみたところ、こんな風に記されていた。
コツの語源は、漢語「骨(こつ)」。
骨は体の中心にあり、体を支える役目をしていることから、人間の本質や素質などを意味する。
そこから、コツは勘所や要領も意味するようになり、物事の本質を見抜き自分のものにすることを「コツをつかむ」と言うようになった。 ー 語源由来辞典
体の中心は頭でもこころでもなく、コツだった。
コツが支えて、コツによって、この体は保たれている。
頭やこころに本弄されるのは常ながら、今まで真面目にで”コツ”に向き合ったことはあっただろうか。
体の中心。軸となり姿勢を保ち、支える要、それがコツ。
自分の中心にはコツ(骨)がある。
これって意外と普段の意識から抜け落ちている。
そうかそうか。
ともすると「わたし」とは、頭とこころと体と「コツ」でできているんだ!(とかなんとか)
こうして気づけたことにしめしめ。
(ほんとは気づけたのではなく、気付かされたのだけれど。)
伴う行動はまたこれからの話。
骨格が歪めばスタイルも乱れ、骨格が整えば自然と体も美しくなり。
言葉から攻めるも、体で感じていくも到達するところには、そうした「コツ」がある。
今のところは慌てずに、すこしづつ、コツとコツを積み重ねる日々なのですね。(はい、そうです。)
まだまだ、ゆっくり、この足で歩いていきましょう。
中條 美咲