平日毎日かかさず更新していきます!・・・なんて言ってみたものの、早くも挫折ムードが匂い立つ上弦の月(まであと2日)。
ノルマを課すことは時に人をそこから遠くへ退けてしまう。そんな効用を感じたりしています。なんて言い訳を並べつつ、何を書こうかな。。
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最近、不思議な縁あって、それこそ” 学びの源泉 “のような場所に日夜入り浸っています。
” 学びの源泉 “というのは、深く広い知識や視野を持った人々の寄り集まる場所。
はじめは高尚で近寄りがたい存在と感じていたけれど、その輪のなかに入ってみればすっかり(あっさりずけずけと)馴染んでしまい、高尚なことすら忘れて やんややんや。
凡ゆる話題が尽きることなく広がっていく、そんな場所です。
” 学ぶ “ということの意味を根本から覆されるような、今はまだ豊富な湖のなか、ボートも使わずプカプカ身体で浮いている。そうした状況ながら、時が来たら得ようと思って得られるようなものではない、今が有難く貴重な時間だと得意の思い込みを発揮しています。
デザインとものづくりを生業に、各国各地、足をつかって、活躍の場所を広げている(というか求められるから広がっていく)一人の男性は、「美しさでは距離が遠く、体感できる要素が生まれることでものとの距離が縮まり『自分ごと」になる。そのきっかけのひとつがデザインだったりする。」と言っていました。
そこからある人は、「かたちじゃなくて、” 思い出 ”を糧にできるのがデザインの本領かもしれないね。」と言っていました。
社会の中では「感度を保つ」のがいかに難しいかを熱意をもって、説かれていました。
「自分の輪郭は普段わからない。たたかれた瞬間に、(例えば自分の肩は)ここにあった、ここまであるんだと気づける。だから輪郭を探すには刺激が必要だよ。」と。
「感度を保て!」と終わったその回は、みんなそれぞれ心をジーンと震わせて、これからの灯火にすること間違いありません。いずれのタイミングにしても、きっと。
それとは別の文脈で、ことばを使うある人は、「書くことに興味はない。そうして、じぶんの食いぶちにしていくよりも場づくりや現実の活動のほうがずっといい。」といっていました。
なるほどなぁ。健全だなぁと思いました。
現実のあらゆる場に必要とされて、そうした地盤を活性化させ、実現させていく力の有り余る人なので、たしかに書くことで現場を離れてしまっては勿体ないと思いました。
ことばを使う=書くことではないんだなぁという大発見です。
それと同時にもしかすると、そうした人の活動を、舞台袖から刻々と見ている視線や記した記録があってもいいなぁと思いました。(それすらいらないよ。とはっきり言われてしまうかもしれませんが。書かずとも見ていてくれる存在は大切です。と信じたい)
そんな時に頼れる「紡ぎ人」でありたいなぁと。・・・
個人的な感想は、現実的効用に乏しい、ぼやけた輪郭の収まりどころを探して、もう少しひたひたこの湖に浮かんでみようと思うばかりでありました。
そしてすっかり、日をまたぎ、決意の習慣はあっさり断ち切れましたとさ。
中條 美咲