「かなしきのうた」阪村真民
たたけたたけ
思う存分たたけ
おれは黙って
たたかれる
たたかれるだけ
たたかれる
早朝の山門をくぐり抜け、鎌倉円覚寺の夏期講座で和尚さんから耳にした詩の冒頭。
「かなしき」とは、鍛冶屋の鉄砧(かなしき)・鉄床のことを歌っているそうで、和尚さんはこの詩になぞらえ、「たたかれてたたかれて揺らがないものができる。そしりとほまれの間で揺らぐことがない(精神)が生まれる」と、無関門「離却語言」についてお話をしてくださいました。
今期で80回目の開催となる円覚寺の夏期講座、4 日目に集まった人々はおおよそ千人。
お堂から溢れた人は廊下や下駄箱、縁側や庭先に溢れ返り、みな熱心に姿は見えずともマイク越しに聞こえてくる講師陣のお話しに耳を傾けます。
この日の講題は、円覚寺派管長 横田さんの「無門関提唱」、裏千家・千 宗室 家元の「一期一会を心得る」、解剖学者・養老 孟司さんによる「自分の壁」についてと4時間に渡る贅沢な内容。
雲ひとつない夏空と、大小沸き起こる風にゆらめく木々を見るともなく、縁側で感じた4時間の心地よさ。
仏教というものの底深さは未だわからず、そこで説かれる問答は詩的で含みも多く、結局のところ何が正しいと、ひとつの答えが導き出されるわけでもない曖昧さに改めて、日本的情緒を感じるばかりでありました。
生まれた不思議・ご縁の不思議・ご縁をいただく不思議に感謝。
仮のこのからだはご縁でできている
変わらないものはない
からだもいずれバラバラになって自然へ還っていくだけ
切るも切られるも共に「空」
黙っていれば平等一枚のせかい。
だまっていてもいけません。しゃべってもいけません。
「穴云く、長え(とこしえ)に憶う、江南三月の裏、鷓鴣(しゃこ)鳴く処、百花香し。」
ことばでは伝えられないことをよく伝えている。
そうした矛盾を抱えて生きていかなきゃなりません。と
*
千さんのお話しは、聴いていくほど、ほろほろとこころを解きほぐされてしまう。そうしたまろやかなことばに溢れていました。
聞いても何もわからず、座っていても煩悩だらけ。自分で拗ねていた一夜漬けの延長の日々。
いつの日かだんだんと素直に聞けるようになる。
老師からの「お前な、おまえはおまえだからな」ということばで我を見つけ、それまでにも間違いなくわたしの胸元に投げてくれていたボールを、そろそろ受け取りたいと思い至った「一期一会の日々」について。
*
町医者町坊主は尊敬されません。子ども時代をみんなに知られているから。わたしもその一人ですね笑。と始まる、養老さんはあいもかわらず。
「自分」という「意識」を気持ちよく覆し、近代解き明かされつつある脳科学と仏教的な思想がいかに近しいか。
人間は社会脳が先にデフォルテされている。他者の相手をするように発達したのが霊長類の脳。だからあくまでも、人間脳は「人生お付き合い」なのだそう。
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これぞ寺子屋と言わんばかりに、真夏の寺に教えを請いに集まる人々。
話し上手、もてなし上手の術を感じた円覚寺夏期講座でありました。
余談ですが、松岡正剛さんの千夜千冊で「無門関」を扱っていたので、こちらも読んでみようと思います。
1175夜 『無門関』
中條 美咲