世界の隅っこでひそやかに。

BLOGOSに宮崎駿監督の会見内容の全文が掲載されていました。
とても貴重なやりとりがされている内容です。

そして監督が、「どんなことでも構いませんので、おっしゃってください。みなさんが疲れ果てるまでやります」と会見の時間をまるごと質疑応答に充てたということの意味深さ。

忘れないように、このブログにも内容を抜粋しつつ書き留めておこうと思います。

【全文】「世界がもっと根元の方でみしみしと悪くなっていくようです」〜宮﨑駿監督が会見

宮﨑駿監督が東京・小金井市のスタジオ・ジブリで会見を行った。会見は、日本外国特派員協会に所属する海外メディアの報道陣限定で行われ、プロデューサーである鈴木敏夫氏の姿も見られた。 

ー 今週は、日本にとっては重要な一週間です。国会では安保法制の議論が進みまして、16日には採決される見通しです。安倍政権は、日本の安全保障を確保するために必要だと言っていますが、どう思われますか。

話が飛ぶようですが、イラク戦争が起こった時、日本のテレビジョンで、あるイギリスの政治学者がインタビューに答えていました。その内容をかいつまんでお話しますと、”この戦争の結果、アメリカはアフガニスタンとイラクから自分の牧場に帰ることになるでしょう。そして、世界は一段と混乱するでしょう”と言いました。
今、安倍政権のやっていることは、そのことを考えてどういう方法を取るかだと思います。私は正反対の方が良いと思いますが、つまり軍事力で中国の膨張を止めようとするのは不可能だと思います。もっと違う方法を考えなければいけない、そのために私たちは平和憲法を作ったんだと思います。その考えは今も変わっていません。

ー 一番海外のメディアに伝えたいことはなんでしょうか。

私はこの役目、辺野古基金の共同代表の人間としてここに臨んでおりますから、辺野古の基地の問題、沖縄の人々が基地を撤去したいと思っているそのことをお伝え願えたら、本当に嬉しいと思います。もうひとつ、先ほどの、日本と中国の問題、共同声明について、私はあの侵略戦争は完全な間違いで、多大な損害を中国の人々に与えたことについて深く反省していると明言しなければならないと思っている人間です。これを政治的な駆け引きとして双方で何かごちゃごちゃやるのは良くない。あらゆる政治と関係なく、この日本は長期に渡る、大陸における愚劣な行為について深く反省しなければいけないと思っています。それを忘れたがっている人ががいっぱいいることも知っていますが、忘れてはいけないことです。

ー「風立ちぬ」で、監督の意図としましては平和主義的な考え方を打ち出していたと思いますが、中には軍事的なことを美化していると誤解した受け止め方もあったと思います。昔、三島由紀夫にフランスのメディアが質問をしたときに、日本人とは”invisibleである”と答えました。監督は、日本人というものは何であると思いますか。

社会の右側の端っこにいる島の人間たちで、平和に暮らせるはずの人間たちなんです。僕はそれだけです(笑)。
この水と緑と、資源と言ったらコメが穫れるくらいです。でも今僕らがやっている生活は、他所からかきあつめてきて、それを使い尽くしていくという、そういう生活です。それは長く続かないでしょう。日本人であるということは僕にはよくわかりません。わかりませんが、本当の必要な知恵は、世界の隅っこでひそやかにいようというのが一番正しいと僕は思っています。

ー原発が近く再稼働される予定です。どうお考えでしょうか。日本は原発を放棄すべきだと思いますか

ええ。こんな地震だらけで火山だらけの国で、原発なんてもってのほかです。

この土地だって、本当にわずかな前に火山の噴火によって出来た土地ですから。私は東京と埼玉の間に住んでいますが、そこの川沿いの小さな土地にいますけど、実は東京湾に津波か高潮が起こった場合、東京都のハザードマップによると、私の家も沈没することになっています。そのスケールたるや、壮絶なスケールなんです。そういうことが起こりうる、いや、起きるだろうと確実に。そういう国にいいるんです。

“ここは津波が来るか”というと、意見の分かれるとこですが、友人たちの多くはそんなことははないだろう言いますが、実際いつかは富士山が爆発して巨大な阿蘇山のようになるんですから、この国は本当にわからないんです。わからないということを前提に生きないといけないところなんです。そんなとこで原発なんてもってのほかです。(以下略)

ー 日本国憲法は、やはり占領国が日本に押し付けたと言われています。しかし、今回の動きを見ていると、日本人はこの憲法を非常に深く愛しています。どうして日本人はこんなに強い思いを憲法に持っていると思いますか。

15年に渡る日本の戦争は、惨憺たる経験を日本人にも与えたんです。300万人の死者です。この経験は、多くの、つまり私たちのちょっと上の世代にとっては忘れがたいことです。
平和憲法というのは、それに対する光が差し込むような体験であったんです。これは今の若い日本人にはむしろ通じないくらいの大きな力だったんです。平和憲法というのは。
平和憲法というのは、占領軍が押し付けたというよりも、1928年の国際連盟のきっかけにもなった不戦条約の精神を引き継いでいるもので、決して歴史的に孤立しているものでも、占領軍に押し付けられただけのものでもないと思うんです。

ー 日本の教科書は加害に関する部分が少ないと中国やアジアから指摘されています。監督はその加害の部分も大変重く感じている日本の一人ですので、映画に、そういう観点に関して入れたりするというビジョンというのはありますか。または、アジアの人たちと映画を作っていきたい、ということはありますか。

アニメーションは、いろいろな作品が考えられますが、今、私が作ろうとしている作品は、こんな小さな毛虫の話です。指でつつくだけで死んでしまいます。この小さな毛虫が葉っぱにくっいている生活を描くつもりです。それはアニメーションが生命の本質的な部分に迫ったほうが、アニメーションとしては表現しやすいのではないかと思っているからんです。あの…意味わかりますか(笑)?

それで、100年や200年の短い歴史よりももっと長い、何億年にもつながる歴史をアニメーションは描いたほうがいいと思っています。

ー 今後基地がなくなって、軍事的プレゼンスが小さくなりましたら、沖縄はどうなると思いますか。不動産業や観光業の発達も考えられますが。

僕は、沖縄は日本と中国が両方仲良くするところになるといいと思います。それが一番ふさわしいです。そして交易する。非常におおらかな心を持っている人たちですから、ちゃんとやっていけると思います。 (以下略)

引用元ーBLOGOS

 

 

ずいぶんたくさん(4分の1余り)引用してしまいましたが、全文は8000字ほどの内容です。
時間があれば、すべてに目を通すことをおすすめします。
こうした記事は時間の経過によって埋もれてしまうので儚くもあり、忘れないためのこのブログ、と思っています。

わたし自身の26年という、(吹けば飛んでホコリのように舞ってしまう)ささやかな価値観の根っこには、宮崎監督のこうした思想が強く深く影響しています。

”社会の右側の端っこにいる島の人間たちで、平和に暮らせるはずの人間たち。
この水と緑と、資源と言ったらコメが穫れるくらい。
今僕らがやっている生活は、他所からかきあつめてきて、それを使い尽くしていくという、そういう生活。それは長く続かないでしょう。
日本人であるということは僕にはよくわかりません。
わかりませんが、本当の必要な知恵は、世界の隅っこでひそやかにいようというのが一番正しいと僕は思っています。”

こうした言葉は、監督自身の根幹でもあり、様々な場面で目にして耳にしてきました。
彼の作品があり、こうした思想に触れていく中で、わたしは少しづつ、「この国に生きたかつての人々が、どんな感性を持って生きていたのか?」ということを、自分自身で掘り起こして手繰り寄せて感じてみたい、そう思うようになったのだと思います。

 

あらゆるジャンル・分野の枠を飛び越えて、聞こえてくるのは、「環境や自然、住まい方を含めて、いろいろなことが揺らいでいる。今まで良いとされてきた考え方そのものを、変えていかないといけない時期」といった共通の感覚。

そうした想いと、どう向き合っていこうかと、じっとじっーっと向かい合って一歩踏み出しては止まって振り返り、勢い良く歩みだしたい(流れに乗ってしまいたい)のに、岩の隙間に身を寄せて、わたしはまだまだ動けないでいる。

 

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
ー 方丈記

100年や200年という歴史はとても短く、その奥にアクセスする手段をみつけたい。

それではこの辺で。

中條 美咲