夏のイベントを調べる機会にさしあたり、いろいろと調べていると、気になるイベントに出くわした。
人口15人、わずか8世帯で秋田県内で最も人口が少なく、高齢化・過疎化・空洞化の進んでいる上小阿仁村(かみこあにむら)八木沢地区を舞台に今年4回目を迎えるイベントらしい。
KAMIKOANI プロジェクト秋田2015「ただ、ここに、在り続けたい。」
どうして気になったかといえば、「ただ、ここに、在り続けたい。」というメッセージが、あまりに切実すぎると感じたからかもしれない。
”「ただ、ここに、在り続けたい。」
秋田の真ん中にあって、美しい自然に囲まれた上小阿仁村。村内の遺跡からも分かるように、ここは縄文時代から営みが続く所です。古くから天然秋田杉の巨木が大地に根を張っています。村に残る伝統芸能は、勇壮な舞から繊細な踊りまで多様です。伝統行事には、先祖を敬う古来の東北の暮らしが濃く残されています。今では殆ど見なくなった活版印刷による小さな新聞社や、雪国の暮らしに必要な道具を開発し続けている小さな鉄工所が営業を続けています。上小阿仁村には便利な電車や高速道路もありませんが、その不便さがかえって奇跡的にそれらを残してくれたのだ。と私たちは考えています。
「ただ、ここに、在り続けたい。」という言葉には、めまぐるしい現代社会の新しさよりも、むしろ、残っている文化を深めることに新しい価値を探そうとする私たちの思いが込められています。この村とアーティストの想像力が交差することで、ここでしか見られない作品やイベントが実現できます。新しい感性によって、残された風土や文化に磨きをかけ、そこに新しい価値を付け加えていく。それが「KAMIKOANI プロジェクト秋田」です。
(中略)不便な場所での開催ですが、色々な文化を旅するつもりで足を運んでみてください。それは皆さんにとって、忘れられない体験になるはずです。
ここ数年来、地方を舞台とした大々的なアートの祭典が行われることは定番となりつつある。
地方活性の一つの活路が「アート+自然」という切り口で上手にパッケージされ、発信され、参加者や訪問者が増えることで、知名度は自然と高まって、観光業も栄える。同時に、地方の全部が全部「アート+自然」で活性化につながるかというと、実際には厳しいだろうなぁとも想像できる。
それに加えて、どうして地方活性の道を見出す術がアートなんだろう?という純粋な疑問も。。
そうしてしばらく調べていたところ、新潟県越後妻有の「アートトリエンナーレ」や、「瀬戸内国際芸術祭」「にいがた水と土の芸術祭」など、「地方+アートイベント」の成功例を多く手がけている、北川フラムさんのこんなインタビューを見つけたので読んでみた。
「美術の限界は多様性、だから最初から限度なんてつくらなかった」〜大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ・北川フラム氏インタビュー
フラムさんは、「現代美術なんていう非常に面倒くさくて、手間がかかって、生産性がないものだからこそ、つなぐ力があった。」とインタビューの中で語っていて、なるほどなぁと思った。
効率・大量生産重視のこの時代のなかで、それに逆行できるものの一つが「現代アート」だったということなんだろう。
それはどこかで、「手しごと」への関心にも通じている。
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イベントして観光客を呼び、その期間、その時期は多くの人で賑わいや活気が生まれるようになったとしても、外からの働きかけや、いっときの賑わいばかりでは「ただ、在り続ける」ことにはつながりにくいようにも思った。
見ようとしていないだけで、八木沢地区のような集落をはじめとした、「限界集落」と呼ばれるような場所が日本のなかにはどれくらいあるんだろう?と。
日本各地に点在していて、大きな声すら発されることのない「小さな集落」の存在へと思いを馳せる。
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営みは変わりゆくものだから、失われていくことは当然のこと。
その都度生まれて、繁栄し、衰退し、なくなっていくもの。
そうかもしれないけれど、そこには悲しさが残る。
記憶や記録の儚く途切れる世界など、面白みにかける。
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それとは別に、「アート」という切り口からではなく、そこに住む人々の営みを、新たな祭りとして、風土に根付かせ、育てていこうとする栃木県益子町の「土祭2015」には、その土地のなかで耕され、長く続いていくような可能性を感じた。
開放的な夏。各地のイベント事情からも、なにやら普段は見過ごしてしまっている地方の様子を色濃く感じたのでありました。
それではこの辺で。
中條 美咲