アフリカってどこを指す?

今月号の『熱風』で” アフリカのいま ”という特集が組まれていた。

わたしの中のアフリカ像といえば、自分が暮らしている場所からはあまりにも遠く、そこで暮らす人々よりも先に、サバンナなど野生に生きる動物のイメージが進行してしまう程なので、アフリカについて知っていることはほぼ皆無。普段当たり前のように” アフリカ ”と見聞きすることはあっても、実際の” アフリカ ”を一括りにするのはあまりにもナンセンスだった。
その大陸面積はヨーロッパ全土と中国を足したものよりも広く、54ヵ国の国々から成り立っており、そもそも国としての「アフリカ」など存在しないということの不思議と、今なお文明が手付かずの夜には色濃い闇の世界がそこには多く残されているという未知への憧れ。

一体全体、みんながいう「アフリカ」ってどこを指す?・・・という疑問からの出発。

 

そんなアフリカ特集の冒頭に収録されている、佐藤芳之さんのお話は気持ちいいほどに痛快だった。佐藤さんは東北出身で、学生時代からアフリカへ強い憧れを抱いていた。1974年ケニアでナッツ・カンパニーを立ち上げ、2005年には年商30億円まで成長した会社を、タダ同然で現地で働くケニアの人に渡譲したという。

僕がナッツ・カンパニーという会社を通して表現したかったのは、シンプルにいかに単純に仕事ができるか。報告書とか基本方針とか反省会とか全て余分です、今日の仕事で何をやったか、満足感を持ったか持たないか、それくらいでいいんです。余計な人があーだこーだ言い過ぎで、問題提起することによって存在する職業が多過ぎるんです。

やり遂げたあとの決断

僕は、外から来た人間がアフリカで興した事業は、ゆくゆくは現地の人々のものにならなくてはと考えていました。なのでナッツ・カンパニーも、日本人は自分たちの役割を終えたら去るべきだと思っていました。

日本人が、どんなにグローバルビジネスといったところで、国籍を取ってケニアの人になり骨を埋める覚悟がない限りは、外から来てケニアの資本を使って商売をしている、そこから脱却できません。ケニア人が自分たちのスタイルでやってこそ意味があるんです。それで失敗しても植えた木は残ります。大事なのは、実を加工して儲けることではなく、アフリカに木と産業を残すことなんです。役割が終わったらよそ者は去る、それが基本です。

人は発展途上がいい

僕がアフリカで好きなところは、混沌としているところです。秩序がなくて何でもあり。賄賂も寄越せと平気で言います。綺麗ぶらずに本音を隠さないところが魅力的ですね。もちろん暴力も賄賂もいけません。でもなくならないでしょう。暴力がなかった時代ってありますか?戦争のない時代もないでしょう。やめようやめようと思っているけどもどうしようもない。本当に人間なんてライオンよりも下等です。ライオンは自分の食べたいものを食べられればそれで満足。でも人間は獲物がそこにいたら全部殺して、非常時のために冷蔵庫を作ってパッキングをして備えようと。ライオンは冷蔵庫もないし、腹が減ったら獲物を見つけて食っちまえばいいんだ、と感覚的ではあるんですが、所詮生き物ってそんなものかなって思います。人間は執着し過ぎているんです。もちろんそこからの喜びもありますけれど、でもほどほどではないんでしょうか。欲望もほどほど、食べ物もほどほど、規律も責任も売り上げも利益もほどほど文化がいいんです。とんでもないやつがいたら皆で「やめろよ」という社会。(中略)人間は発展途上にいるのがいいんです、先進国なんて発展しすぎてしまって、もう不安しか残っていないでしょう。
僕が幸せだったのは、アフリカに52年いていつも上に行くというか、道路も良くなる、教育も良くなる、ずっとそればっかり見ているからです。その中に身を置いている人たちと話していると、自分自身も発展途上もいいところで、まだスタートラインだという気持ちがいつも身近にあります。

日本にいる人はかわいそう、大変だなと思いますよ。だって電車が3分遅れて謝らないといけないんですから。(中略)3分が迷惑になる世界って考えられない、日本人は特殊すぎるんです。人間が一億人いて、精巧な時計みたいに、それが正しく全部機能する社会が行き着くところが日本なんですね。

忘れなれない風景

1966年のある日、タンザニアの国立公園で、サバンナの向こうに広がる地平線を眺めていた時のことです。4頭のキリンの一家が歩いているのが見えました。その一家は1時間経っても2時間経ってもずっと同じペースでゆったりと何も持たずに歩いています。私もずっと目が離せなくなって見続けていたのですが、その時に言葉にならない感動が広がったんです。「あのキリンと一緒に歩いていきたい」。この思いは今でも忘れられません。アフリカの青空とどこか懐かしい赤土の匂い、これらに包まれている僕は、本当に幸せものだと思います。(談)

「青い空の下で52年」佐藤芳之

内容は部分的に引用させて頂きました。
佐藤さんが語っていることは少しばかり極端にも思える。

極端だけれど、わたしにはなんだか佐藤さんの考えはとても真っ当だなぁと思えてならなかった。
そして文化人類学者の鈴木裕之さんは、ページの最後の方でこんなことを話されている。

長い歴史のなかで培われてきた文化の呪縛は思いのほか強力で、一度その内側で自我の形成をしてしまった人間が、その外側からの視点を獲得することは難しく、ましてや身に染みついた考え方や習慣を変えるのは至難の業である。

だから私たちは、アフリカを見つめる眼をもっと鍛えなければいけない。アフリカから見つめられる機会をもっと増やさなければいけない。そして、たがいに語りあえる言葉を、もっと真剣に学ばなければいけない。

「アフリカと向き合う視点   ー 恋と音楽と人類と」鈴木裕之

そろそろそういう時期に差し掛かっても十分いい頃合いだろうになぁ〜。

見つめる分だけ見つめられて。判断するのはその後で。

結論ありきでは、じりじり睨めっこするばかりでどこにも進めない。こんなご時世だからこそ、言葉の象徴としての「アフリカ」でない、感覚としてのアフリカを、敬意をもって見つめてみたいと思いました。

アイヌもケルトもアフリカも。根源的な暗闇でつながっているんだろうという仮説。

以前参加したイベントで、鶴岡真弓さんも、アフリカのフォークロアや伝承世界についてとても熱く触れられていのできっと。” おわりからはじまる ” 反転力の回復。|紡ぎ、継ぐ

それではこの辺で。

中條 美咲