ロボットお母さんの行く末

昨日のほぼ日刊イトイ新聞、今日のダーリンにて糸井さんが書いていた一言が妙にしっくりきた。

”テレビの影響なのかどうなのか知らないけど、世の中の人やら組織やらいろいろが、どんどん「ロボットお母さん」化している気がしている。” ー今日のダーリンより

ここで語られているように、ロボットお母さんは” 超絶にやさしい”。口答えしないし機嫌をとってくれるし、いつどんな時でもこちらに向かって愛嬌を振りまいてくれる・・・・。本当にその通りだなぁと思った。

ここで語られているテレビという「ロボットお母さん」と通じるかどうかはわからないけれど、わたしはサービス・おもてなし大国と堂々胸を張って世界にアピールしているその部分に対しても時折、ちょっとした ”こわさ ”を感じてしまう。

行き過ぎた “サービス” は果たして本当にその人の為になるのだろうか?・・と疑問に思える場面が少なくない。そして出来過ぎた ”おもてなし” は相手を勘違いさせてしまい、結果的に随分厄介なお客様が増えていき、いろいろな場面で立ち行かなくなってしまうことにもなり得るのではないだろうか?といったものだ。

商売をしていく上でのサービス・おもてなしは切っても切れない大切な要素ではあるけれど、それは時に人を勘違いさせてしまったり、ものすごくわがままにさせてしまう可能性だって十分にあり得る。

「ロボットお母さん」というのは一概にやさしく、どんな時でも子供たちの機嫌をとって、心地いい気持ちにさせてくれるかもしれないけれど、果たしてそんな風に甘やかされて育ってしまった子供たちはどんな大人になるだろう。

ときには寂しさを慰めてくれるありがたい存在でありながら、本来のお母さんの役割、長い目で見た「躾」ってなんだろうなぁと考えた。

テレビに焦点を絞って言えば、そろそろ過剰で華美でお祭り三昧のようなものばかりではなく、日常の延長として、考えたり見つめなおしたり、世界に目を開けるような番組が増えたらいいのになぁと思う。
会長は好きにはなれないけれど、そういった意味でのEテレは新しい知的好奇心と、独創性に優れているので好き。あとはサンデーモーニングの『風をよむ』と岸井さんの安定感。

 

超絶やさしい「ロボットお母さん」の増殖とともに、お客様は神様のこの国のサービス・おもてなしの行き着く先はどんなだろう。

個人的には時には優しく甘やかしすぎずに、店員もお客も対人間として、地に足のついた関係性の中でできるだけ互いに心地よく、自然体に関係性を築いていけたらいいのになぁ。と思うわけですが、それはもうとっても理想的に過ぎるわけでございます。

いろいろな人がいて、合う人も合わない人も、厳しい人も優しい人も。常に一定ではなくその時々の感情で変化して。それでもきっとロボットと人とでは決定的にちがうなにかがある!と思いたい一方で、ロボットがどんどんヒトに近づいてくる日もそんなに遠くはないのかなぁ。

せめて増えていく「ロボットお母さん」があまり過剰でなくバランスがとれているといいのだけれど、それでは肝心な需要は少ないか。

 

それではこの辺で。

中條 美咲