光と風と火と女。

もう随分時間が経過してしまったけれど、先日『灯台もと暮らし』のイベントに参加して、生まれて始めてみそを作った。

味噌作りは案外簡単で、今は本棚に立てて、完成を待っている。
煮た大豆と、こうじと、塩があれば作れてしまうというのは随分な驚きだった。
粘り気のある大豆の柔らかさと、こうじのいい匂いが味噌作りには欠かせない。

発酵デザイナーの小倉ヒラクさんは名前の通りいろいろな意味で超越していて、おもしろく 、魅力に富んだすてきな自称おじさんだった。(正直まだまだおじさんにはみえない。)

もとくらがこれまでに地方取材を行ってきた中で感じたことと、メディアとしてのこれからのあり方を語ってくれた中で印象に残っている話をかいつまんでみる。

編集長の佐野さんは言っていた。
地方や暮らしが循環していくために、どこにいっても求められるのは”風の人”と”土の人”で、更にいうと「そこには”火と女”がほしい」。それは焚きつける役割でもあり、彩りを加える役割でもあるということだそう。

東洋医学に基づいた、木火土金水じゃないけれど。もしくはアーユルヴェーダのピッタ・カパ・ヴァータ(火・水・風)の考え方によく似ているなと思った。

要は地方も人間も自然も、ちょうどよく、滞りなく循環していく為には、それぞれの要素が欠かせない存在であり、補い合ってそれぞれの持ち味を積み重ねて成立していくということなんだろう。

さらに言えばそこには光と影、太陽と月が必要になってくるかもしれない。

 

表向きにメディアとは一緒くたにされがちで、良くも悪くもスポットを当てる存在であり、”風”を運ぶ役割を担っていることになるんだろう。

光と風を運んできてちょうど相手方もそのタイミングを待ち望んでいたならば相乗効果が生まれるし、準備が出来ていない土地やもう十分過ぎる場所に強い光や風が当たれば逆の効果を生んでしまうこともきっとある。

でもそのタイミングってきっと潜在的なものでなかなか表に浮き上がって感じ取ること自体難しい類のものなんだろうなぁと思う。

中にいる人と外にいる人と中間にいる人が存在するとしたら、中間にいる人がその調整役となって、互いの関係を結んでいく。

うまくいけばメディアにはその可能性があるし、そんな風に都会で暮らす多くの地方出身の人たちと、その人たちのふるさとをもう一度あたらしくつなぎ合わせていけたらそこで暮らしていたときには気づかなかった再発見がたくさん見つかって、懐かしくもあり新しい”ふるさと”を発見できることになるかもしれない。それはじぶんの生まれた地方にとどまらず、日本という国全体のそれぞれ個々に培ってきた個性や可能性の再発見だったりもして。

大げさではありながら民俗学の現代版のように、今現在のその土地に根付いた人の暮らしを照らしてその種を風とともに運んでいくメディアになっていってくれたらいいなぁと思う。

 

感覚で生きる女性の感性をフル活用した”もとくら”の伸び代、まだまだ計り知れない。

現代ビジネス|「暮らしを見つめ直すきっかけをそっと置いて、小さな循環を生んでいきたい」—「灯台もと暮らし」編集長・佐野知美さんインタビュー

 

それではこの辺で。

中條 美咲