新しい地図の描きかた

いま、急上昇的に気になる人。写真家の石川直樹さんについて書いていこうと思う。

昨年11月、荻窪6次元で行われたイベント「僕らの未開」に参加して、その存在を認識することになった。 参照:「僕らの未開 〜忘れられたことを知ること…」「民俗学者と写真。

最近巷ではやたらと石川さん旋風が巻き起こっているような、そんな様子がうかがえる。
「最近」というのは主観でしかなく、随分前から活躍されているところにたまたま、このタイミングになって自分が飛び入り参加しただけに過ぎないのだけど。

ワタリウム美術館「ここより北へ  石川直樹+奈良美智 展」と、横浜市民ギャラリーあざみ野で開催中の「石川直樹 New Map ー 世界を見に行く」に足を運んだ。

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                       《POLAR》2006年 タイプCプリント

「New Map ー世界を見に行く」ではアーティストトーク後編に参加。
彼のことばと写真を通して、旅の様子、身体の変化、地図ができる以前からその場所にあり続ける人や自然の姿を感じることができた。

大げさな表現をして伝えようとするのではなく、少しさっぱりすぎる位フラットに。そうした彼の表現は、触れれば触れるほど体に馴染み心地いい。

目の前のモーレツな自然やキョーレツな未知すらそのまま受け入れて、自分が透き通ってしまうくらい対する存在に同化していき、自分も相手も境目がなくなるくらい一体となって初めてシャッターを押す。それは狙っているのでも待ち構えているのでもなくある時自ずと訪れる。

そんな瞬間を捉えたとき、初めて互いの存在を認め合い、またひとつ自分の中の世界が広がる。
そうして少しずつ自分の足で世界を捉え直す。そういった作業がまるごと彼が描こうとしている「New Map」なのかな。なんて想像をしながら、話を聴いていた。

かつては海の中だった、標高8848mのエベレスト
「人間の身体に合わせるのではなく、自然の環境に自分の身体を適応させていくための登って下るタッチアンドバック。何度も往復し、順応させていく。全ての動作を意識的に。そんな二ヶ月間を過ごしていると、自分の身体を使い果たすような、中身が全部入れ替わったような感覚になる。それが病みつきではないんだけどとてもいい。でも今年のK2を締めくくりにヒマラヤ学校はそろそろ卒業。」とのこと。

折口信夫が名付けた「まれびと」
「まれびと」=異人たちは海からやってくる。島国の日本では、あらゆるものが海からやってきた。古くから続く仮面のお祭りは、そういったかつての名残だったとか。

未知の存在、鬼や異人でもとりあえず家の中に招き入れ、関係を持つという在り方は、海からやってくるものが厄災に限らず多くの恵をもたらすことを経験として培ったかつての島で暮らす人々のスタイル。
「中央からみた” 辺境 ”は、海からみたら” 入口 ”で、そんな風に世界を見ていくと全く違った世界が立ち上がる。」

富山県で発行されている「逆さ地図
網野善彦さんが言うように、日本地図を逆さにしてみたら、日本海が湖みたいでとても刺激を受けたそうだ。正しく「New Map」。そして今年は「北方」へ。

 

北方・島・ヒマラヤ・仮面を巡る水平方向と垂直方向の旅
言葉のごとく縦横無尽。彼は写真家という看板を背負いながら、どこまでも自分の好奇心に従って未知の世界へ足を踏み入れる。
そこに向かう心は常に、穏やかに開かれているのだろう。
写真家・旅人・冒険家・民俗学者・登山家・・・。それぞれのジャンルが別々に分かれているのではなく、ひとつに集合して石川直樹という人は出来上がっている。

本当に彼は「写真家」なのか。
これから先も、知れば知るほど分からなくなりそうだ。

”一つの中央ではなく無数の中心へ向かうことによって、見慣れた場所が未知のフィールドに変化する。そんな新しい世界へ向かう旅の一端を皆さんと少しでも分かち合えたら嬉しい。”

石川 直樹

反比例するように対極を求めて。
科学や技術や情報で解明されることが多くなればなるほど、わからない方へ。未知なる世界へ。

全てを共有することは不可能だけど、その一端を分かち合う。

大げさなものは少しずつ剥がしながら未知との出会いに心を任せると、いずれ彼の作品のようにスーッと透き通った眼差しで、世界に受容してもらえる日が訪れるかもしれないなぁと。そんなことを思ったりもした。

ほんとうに素敵な時間だった。

 

あざみ野の「New Map ー 世界を見に行く」は今週末までの会期なので、興味のある方は是非。
ワタリウムで開催中の「ここより北へ」はまだしばらく会期は続くので、それについても改めて書ければいいなと思う。

 
  

  

 

それではこの辺で。

中條 美咲