エネルギーの選択は、わたしやあなたの哲学そのもの。

このブログでは再三にわたって取り上げている、スタジオジブリの小冊子『熱風』。2月号の今回は「再生可能エネルギー」についての特集でした。

これはしばしば衝撃的で、納得のいく資料も掲載されており、やっぱり少しだけ今の日本が進めようとしているやり方には疑問を抱く気持ちが膨らんでしまいました。
2月号でインタビューに答えているのは、元経済産業相の官僚で、エネルギー問題にも詳しい古賀茂明さん。
本当は40ページに渡って話されている実情を全部丸ごと共有できればいいのですが、それはちょっと難しいので、個人的に印象的だった部分の引用に止めたいと思います。

なぜ日本では発送電分離ができないのか

古賀 さて、再生可能エネルギーですが、日本で一番言われている、再生可能エネルギーについての問題点は2つで、1つは高いだろうというコストの問題です。再生可能エネルギーなんかやっているから、付加金が乗って、これがどんどん拡大していって、ものすごい金額になると宣伝されているわけです。
確かにヨーロッパでも最初はそうでした。だからいろいろな形で補助金とか、買い取り制度とかの支援対策を付けたりして、最初は無理矢理普及させていました。
ー ドイツも、スペインもそうでしたね。
古賀 それで電力料金が上がってしまったということですが、では今どうなっているかというと、ヨーロッパ中、風力にしても、太陽光にしても、コストは日本の半分以下まで下がっています。普通の火力発電に比べたら、むしろ安いというところまで来ています。このような中で、何で日本だけがまだ2倍なのかというおかしさがあるんですね。
その1つは、発送電分離が日本ではできていないということです。ヨーロッパでは多くの国で実施されています。発送電の分離ができていると、たとえば「原子力、火力、水力、風力、太陽光…どの電力を買いますか」となったときに「一番安いのを買いましょう」ということができます。そうなると、安い電力がどんどん売れることになりますが、日本の場合政政府が「原発は重要なベースロード電源です」としています。「まず原発でこれだけ買います、次に火力でこれだけ買います」という前提があり、残ったところで「再生エネルギーを買いましょう」となってしまっています。(以下中略)

たとえば、音楽家の坂本龍一さんがスピーチで「たかが電気だろう、そんなことに負けてはいけない。そんなもの、ちょっと電気を消せばいいんだ」というような主旨のことを言ったこともありました。でもそれは一昔前の脱原発の考えです。
僕が言いたいのは、原発をなくすというのは、我慢するとか、生活の質を落とすとか、経済成長を落とすとか、そういう意味ではないんだと。そうではなく、むしろ原発をやめて、自然エネルギーに行ったほうが成長するし、別に電気を暗くしなくても十分にやっていける、そっちのほうが夢のある道なんですよ、と。たしかに10年前、20年前だったら「そういうのは夢だね」となり、現実を考えないと終わってしまったんですが、今はついに技術レベルがそこまで来たんです。

日本とドイツの哲学の違い

古賀 この問題は、日本人の哲学が問われていると思います。哲学というのは何かというと、生き方です。僕は以前、ある会議に呼ばれて、ドイツの大統領たちと話をしたことがありました。(中略)
ドイツの人の、事故が起こるまでの発想は、ドイツはエコの国なのだけれど、基本的には欧米の文化がベースになっています。欧米の文化とは何かというと、科学技術に対する信奉というか、信頼です。科学技術というのは、人間の幸福を生み出す源泉になる。(中略)したがって、原発はその1つの代表格であり、技術によって人類がこんなに豊かになるというものだと思っていた。
一方、欧米から見た日本のイメージは、日本はずっと欧米にキャッチアップしてきて、そういう意味でも科学技術の力は非常に強い。ただ、もともとの日本のイメージは、どちらかというと、欧米よりもはるかに自然に近い。自然と一緒にいきていくというイメージの国であると。大統領はそう言ったんです。僕は、よく勉強しているなと思いました。(中略)
そこで福島の事故が起きた。それは日本で起きた。日本の人は大変な苦しみを味わった。さて、それを見て、欧米と日本はどういう対応をしますか。(中略)

結局、結論としてどうなったかというと、意外なことにドイツは「いや、やはりあれはダメだ」と倫理委員会で決めたんです。ドイツ人の生き方として、そんな危ないものは、いくら技術力があるといっても限界がある。日本みたいに、ドイツと並ぶような科学技術大国でさえ失敗したのだから、それをドイツ人だけが克服できると思うのは過信である。しかも1回事故が起きたら、取り戻すことができないほどの被害が出る。それからゴミの問題もあるし、ということでした。その一方で、再生エネルギーがどんどん発展している。そうすると、そっちにも可能性が出てきた。じゃあどっちに行くんですか。「100%確実ではないかもしれないけれど、再生エネルギーにかけてみようよ」となったんですね。かけるということにすれば、「本当にみんながそれに向かって一生懸命やれば、道がないところにも道ができる」、それは、我々は歴史から学んで知っている。で、「ドイツはその道を選んだんですよ」と言われました。
日本は、よく分からないけれど、最初は原発をやめるのかなと思って見ていたら、結局そのまままた始めるらしいと。これは決して日本を批判しているわけではないんですけれども、なんとなくそういう歴史と文化を総合的に見たときに、日本の生き方、ヨーロッパの生き方が逆になってしまいました、というのが非常に興味深いことなんです、という話をしてくれました。

ー引用元:スタジオジブリ小冊子『熱風』2015,2月号より

遡って2014年12月号の特集「アジア経済圏」の中でも、非常に印象に残っている箇所があります。ある意味、上で話されている哲学や倫理観の話にとても通じていて、だからこそ、この機会を棒に振ってしまったこと、それをみすみすとやり過ごしてしまったことについて、現実的には傍観者でしかありえない自分たちでもこういった可能性についてもう一度、考えてみた方が良いのではないかなと思うので、こちらも合わせて引用させてもらおうと思います。
ちなみにこの時のインタビューは、ジャーナリストの青木理さんが日本総合研究所上席主任研究員の大泉啓一郎さんに話を聞くかたちで、行われているものです。

大泉 エネルギー問題でいえば、私は、3・11のあと、日本は大きな機会を逃したと思っているんです。
青木 とおっしゃいますと?
大泉 なぜ、世界中に呼びかけて、みんなで原発問題を解決しようとしなかったのか。それは原発を認める、認めないという話ではない。世界中で考えれば、何か違った対策が見つかったかもしれない。それは日本のノウハウになるし、中国政府も今後は絶対ほしがるノウハウです。こういうものが地域統合の力になると考えています。機会を逸したのは残念なことです。
青木 今の話をもう少し伺いたいんですけど、僕は鈴木敏夫さんのおっしゃった、アジア共同体のような話も相当にロマンチックだなと思ったのですが、今の僕には同じくらいロマンティックに聞こえます。どういうことなのでしょうか。
大泉 世界中の原発の研究者に、宿泊費は全部日本が持ちますから、日本を研究対象にしてくださいと声をかける。その代わりデータや経験は共有しましょうねと。これくらいのことはきっとできたはずです。もし世界中の研究者が怖がって来なかったとしたら、もう原発の存続はない。専門家が来られないようなものはつくったら駄目。そういうことをテストできたと思うんです。そういう機会を逸してしまった。

ー引用元:スタジオジブリ小冊子『熱風』2014,12月号より

最後に

今回も長すぎる分量を引用させていただくかたちになってしまいました。
既存の媒体をあまりたくさん引用をするのもよくないのかなと思いながらも、この小冊子が非売品ということもあり、その内容は毎回深く踏み込んで話されていて、とても真摯な問題に迫って毎回の特集を組まれているので、もっともっと多くの人に共有できたらいいのにな。というのがいちばん素直な気持ちです。
スタジオジブリの映画アニメはもちろんなのですが、わたしはその背景にある、こういった根本的な取り組みや姿勢になによりも興味があり、ひとつの会社でありながら、一般的な企業とは一味もふた味も違う立ち位置を築き上げられているのはどうしてなのか、これからどういう道筋を描き出そうとしているのか・・・と、ますますジブリの動向が知りたくなってしまいます。

現在は戦後70年という節目でもあり、戦後の日本の変化やその前後について語られる(耳にする)機会は多いように感じますが、本題の中で語られている ” 自然と共に生きる、もともとの日本のイメージ ” が作られたのは70年よりもっとずーっと古くから培われた日本人像であり、もともとの姿は戦後の復興と共にすっかりと(もう随分昔から)その中身だけが置き去りにされてしまっている価値観なのではないのかなと最近は想像しています。だとしたら、もう一度検証したり学んだり考えなくちゃいけないのは、戦後も戦前ももちろんですが、もっとそれ以前の日本人の在り方なのかもしれません。

日本人のあらゆる倫理観が問われた福島の事故からもうすぐ4年になりますが、それについて西欧の方達が考えるほどの哲学や生き方まで及ぶ真摯な話し合いがこの国の中ではされていたのか、されつくしたのか。
渦中にあってはそれどころではなかったと言えますがもう4年。すっかりその当時の衝撃や問いかけや向き合う姿勢からは遠のいてしまい国民を代表する方達の向かうべき方向は兎にも角にも「原発ありき」。
これでは再生可能エネルギーの道のりはとても長そうだなぁと諦めに近いような残念でならないような気持ちを覚えつつ・・・スペインを始めヨーロッパでの多くの成功例や、米国における原発権化といえる存在の方が2012年の段階で発言された「原発はコストが高すぎて、推進を正当化するのが非常に難しくなっている。」こういった話がもっともっと公になるといいなぁと思います。

そして近い将来。再生可能で、自然に還るエネルギーを基本的な源として暮らしていける日をみんなが望んで、希望の種を簡単にむしり取ったりせずに、みんなで協力しながら、実現できる日を心待ちにしたいと思います。

いろいろ考えて暗くなっていても仕方がないとしたら、むずかしいことでも信じ尽くす覚悟を決めてしまったほうが、心がすっきりするものです。と、わたしは「信じる」腹を括ります。

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ほとんど引用ながら長大作になりました。ここまでたどり着いてくれてどうもありがとう。。

それではこの辺で。

中條 美咲