谷川俊太郎さんを取り上げたドキュメンタリー映画、「谷川さん、詩をひとつ作ってください。」を観た。
画像引用:公式HP
昨年末。渋谷まで向かったものの電車の遅延で見逃して、今回横浜・伊勢佐木町にある映画館、ジャック&ベティに始めて訪れることになった。
風俗街の続くそのエリアは、昼間でも少し違った趣がある。
横浜といえば、山下公園やみなとみらい。中華街の明るく開放的、そして健全な観光地としてばかりが表立って取り上げられることも多い。その一方で、日雇いの方達が集う関外のエリアだったり、かつてのメインストリーム伊勢佐木町やそこの裏手の風俗街、橋を渡った野毛横丁の雰囲気だったり。
全く別の顔を持つこのエリアも、慣れてしまうとなかなか興味深い。
どれだけ表向きをきれいに演出しても、どこまでいってもこういう側面を抱えているということに、人間味を感じる。
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話を本題に。まずは予告編。
わたしは映画の中で、谷川さんの詩が読み上げられる度になぜだかわからないけれど、涙が溢れっぱなしになっていることに、不思議な浄化作用を感じた。そしてそのような効果を秘めている作品を求める自分がいるということも、今回改めて発見できた。
ごくあっさりと。
自分を解放してしまうことで、抗いようもなくただそれだけの”感覚”として、浴びてしまう部分が大半だった。そんな時、谷川さんが生み出してくる一編一編の詩はわたしの理性をすり抜けて、どこまでも深く染み込んでいき、種を蒔き、発芽して、一瞬のうちのとんでもない風景に様変わりしてしまったかのように、からだの奥底で絶えず封じ込められている感覚にだけ、直接呼びかける。
それはもう、交換や交流のための言葉ではなく。
ものごとの間を行き交う必要のないひとつの象徴となって、その場に立ち上がる。
はじめから” 使う ”目的でなく生まれてきたコトバは、いつまでも使い古されることはない。
それらはただの、” 混じり気のない無垢なもの ”として。どんなに年月が経過しても変わらぬ姿であり続ける。
海も土も空も、その存在とそこに潜んだ事実とをずーっと前から知っているのに、わたしだけはいつまでも知ろうとしない。
だから時折その事実に触れる機会があると、からだは制御不能となってしょっぱい涙が流れ出る。
この状態を「浄化作用」といったりもして、そんな中。
唯一置き去りにされた「わたし」と「」を示すこの頭だけは、その事態に少しだけ戸惑って後々冷静になってその作用がもたらした” 効能 ”について考えてみたりもするのだった。
おまけ。
浄化作用を感じた関連の作品。
・映画「2つ目の窓」
・神宮 希林 わたしの神様
・巡る季節。
・まだ、戦争には間に合いますかー 長岡花火との出会い(後編)
谷川さんについて書いたもの
・見ることをやめて、空想力を育む。
・チャーミングな話し方がお好き。
・詩的な何かと散文のあわい
それではこの辺で。
中條 美咲