あたたかな小春日和の日ようび。
三鷹の森には枯れ葉が ざわざわ ざわめいていた。
宮崎駿さん手作り企画『クルミわり人形とネズミの王さま展』を目指して訪れた二度目のジブリ美術館。
懐かしいような、落ち着くような。ほんわかした心地で門をくぐる。
手にした入場券にはめ込まれたフィルムを覗くと橋を渡るおくされ様が・・・・。
気を取り直して廊下を下る。すっかりせかいに入り込む。
「迷子になろうよ、いっしょに。」と、ここではおとなも子どもも解放される。
ほんとにふしぎとあたたかい。
はじめに「土星座」で観た短編映画。今月いっぱいは「星をかった日」が上映されている。
お母さんから離れて、3人仲良く中央最前列に並んで坐る少年少女。
暗くなる館内に、ドキドキが伝わって。こんな風にのめり込んでしまう子ども達とその先の映像を見ているだけで、目の前には水たまりが広がってしまったりして。
星を育てるノナくんの、まっすぐで透き通った愛情になんだかすっかり打ちのめされて、気分はまるで「汚れちまった悲しみに」。
中原中也じゃないけれど、ただただ涙がとまらない。
子ども達の姿に敏感になっているのは確か。
自意識や自覚をまだ見ていない彼らの一挙一動はくもりがなくて。そんな時、じぶんの中にある ”母性” に気付いたりしてしまうのだから、きっともうそういう年頃になったということなのでしょう。
「クルミわり人形とネズミの王さま展」は空間としては凝縮されている中で、宮崎ワールド全開。
夢と現実はごちゃまぜでいいのだ〜!という勢いに任せながらも、子ども達のことを心底考えた体験型の展示になっている。そんなところに駿さんの人となりが滲み出す。
触ってもまわしても、独り占めしたって構わない。
1歳半くらいの女の子が「ガシャガシャ劇場」のハンドルを、必死にまわし続けるのだけど、どうやら逆回転で、一向に動いてくれなくて。スタッフさんやお母さんが手伝ってみても、正しい方向だとハンドルが重いのか、どうしても逆回転になっちゃって。
でもそれでいいんだなって思いながら、今度は絵本に登場するままのお菓子を触り続ける女の子に出会って。
一緒になって触ってみたら、むにむにしていて気持ちがよかった。
以前7月号の熱風の中で、宮崎さんは展示についてこんなことをお話されていた。
『クルミわりとネズミの王さま』を読んでいくと、全然つじつまが合っていないんです。でもそれに対して、まるで原作者のホフマンが「君、何でつじつまがそんなに必要なんだね」と言っている感じなんです。そうすると「つじつまというやつは本当に愚劣な行為なんだな」とか思い始めるようになりましたね。僕は自分の人生のつじつまも合っていないですから(笑)。
つじつまばかり気にしていると本当に腹が立つんです。「説明されていない」とか、「僕は分かるけど、ほかの人は分からないだろう」とか、そういう映画の感想がもの凄く多くて。僕の率直な感想は「おまえは分からなくていい」(笑)ですね。
原作が200年経った今も世界中で読み継がれる物語となっていることは、「つじつま」よりもずっと大事なことがこのせかいには詰まっているという証なのかもしれません。
まだまだファンタジーは夢と希望の可能性を失ってはいないと思うと、それはとっても楽しみなことだとわたしは思いました。
そんなこんなで、帰りは三鷹の森をぐるぐるぐるぐる迷子になって、すっかり日が暮れるころ現実に引き戻された、一日でありましたとさ。
写真左上の岩波少年文庫を「トライホークス」(図書閲覧室)にて購入すると、駿さん手書きのブックカバーがもれなくついてきます。とってもメルヘン!
それではこの辺で。
中條 美咲