彼女がかつて手にした言葉には、奥の方でひっそりと、光が灯りはじめていた。
言葉をつかい巧みに交換し、交わり、紡ぎ合わせていったところ、幾重にも重なる思想というかたまりが出来上がった。
まあるくて柔らかいものもあれば、かたくてゴツゴツとしていて掴みにくいものや、触ったら刺のようなものがしきりにひっかかるものもあった。
まあるくて柔らかいものは、みんな好んで触りたがった。
かたくてゴツゴツしたものを掴みたがる物好きも、時たま現れた。
触ったら刺のようなものがひっかかるのは、すこしだけ嫌厭されて、遠くの方に置き去りにされていた。
いろいろな形が生まれてくる中、それらは複数のかたまりに分かれ、浮き上がったり沈み込んだりしながら、たゆたうように、宙を舞っていた。
ある時ひとりの青年が訪れて、どうしてもそのひとつ。
まるくて柔らかい思想のかたまりを、自分のものにしたいと強く心を奪われた。
青年はどうすれば、それを独り占め出来るだろうかと来る日も来る日も考えた。
来る日も来る日も考えたところで、手に入れる方法はなかなか見つからない。それどころか、それらは少しずつ、日々姿かたちを変えているということにあるときふと気が付いた。
まるくて柔らかいそのかたちが好きだと思っていたけれど、時に小さく縮んだり、大きく膨らんだり、かたちを歪めては、ゆるやかにひっそりと、変わり続けているのだった。
思い描いていたあのかたち、あの手触りが変わってしまうなんてと、青年はすこしだけ悲しくなった。
それを知り、彼女は穏やかにまっすぐと、彼の目をみつめて「大丈夫。自然なことよ。変化を恐れずに見守っていてね。」と言った。
*
はじめは奥の方で小さな光を放っていた言葉も、力を持つと少しずつかたちを変える。
言葉には多かれ少なかれ「ちから」が宿る。
ひとつ言葉を発すると、それらは波紋のようにして、弧を描き広がっていく。
あまりに集結すると、力のほうが強まってしまい、言葉で始まった筈のことが、言葉では収束がつかなくなってしまったりもする。
言葉のちからを信じる一方で、言葉に頼り過ぎずに、自分の感覚を常に開いていることがとてもたいせつなことのように思ったりしている。
そしてできるだけ、ひとつのおおきなかたまりに集結させるのではなくて、ちいさくて様々なかたちと変化に富んでいて、眩し過ぎて降り注ぎ過ぎないように、互いに調節し合ってゆるされる存在で在り続けられればいいなと思う。
*
自らの言葉に、つよい力が宿ると知った彼女は、それらを発することをためらうように、いつの間にか静かにただただ、微笑んでいるだけの存在となった。
そこにあるのは言葉でも、力でもなく。
うまく言葉にならないような、あたたかくてほっとする。ちいさな日だまりみたいな空白だった。
おわり。
中條 美咲