イザナキとイザナミ

『古事記』に登場する、イザナキとイザナミという男と女の神さま。

イザナキとイザナミは、セックスへの ”誘い” 。とってもストレートな神さまの名前。

” イザナキとイザナミはその島に降り立って、まずは天の柱を立て、幅が両手を伸ばした八倍もあるような大きな神殿を建てた。そこでイザナキがイザナミに向かっていうには「君の身体はどんな風にして生まれたんだい?」と問うた。イザナミは「わたしの身体はむくむくと生まれたけれど、でも足りないところがあるの」と答えた。それを聞いてイザナキが言うには「おれの身体もむくむくと生まれ、生まれすぎて余ったところが一カ所ある。君の足りないところにおれの余ったところを差し込んでクニを生むというのはどうだろう…… ”

こんな風にして、イザナキとイザナミが数回の失敗を経て、性交をして生んだのが今、日本各地に散らばる”クニ”ということだそう。
ちなみに出会い頭で大切なのは、決して女から声を発してはいけないということ。はじめは男から声をかけるのが成功の秘訣だとか。

ここに訳される「むくむくと生まれ」という表現がとても素敵だなぁとうっとり。そしてたくさんのクニが生まれたあと、物語がどんな風に展開していくかとても気になったので、この本は是非手に取って、わたしの『古事記』入門書にしたいと思います。(上記の引用部分は、ラジオの中で池澤さんが朗読された部分を聞き取って記しているので、句読点や漢字の変換などに誤りがあるかもしれません)

・・・ということで、ラジオ版 学問ノススメに池澤夏樹個人編集 日本文学全集|古事記 を訳された池澤夏樹さんが登場されていました。『古事記』についてのお話も含め、その後半で語られる内容が、日本人という民俗や性質を捉える上でとても興味深く、目の前に控えている選挙をはじめ、これから先のこの” クニ ”について、少しずらした視点から考えてみるひとつのきっかけになるかもしれないなぁと思い、ここで取り上げさせていただきました。

学問のススメ

池澤さんは『古事記』など(国ごとの文化遺産)を通じて、世界各国で自分たちがやってきたことをお互いに並べて読んでみたり紹介してみたらいい。そうすればお互いに気心が知れる。とおっしゃっていました。また、国民国家という考え方もそろそろ役割を終えたのかもしれない。経済の世界では既に国境は取り払われている。その先でどういう秩序が生まれるのか。そういった内容にも少しばかり触れられていました。

そんな話を聞きながら、以前辺境ラジオで内田樹さんと名越康文さんが話されていた循環論法のお話とも通じているなぁと思い起こしました。

辺境ラジオ

こちらは2時間近い内容ですが、想像力が掻き立てられてとっても面白い。循環論法のお話は、後半1時間を過ぎたあたりです。

強い言葉には求心力があり一丸となりやすいけれど、四季があり、変化することを知っている日本では直線ではなく循環していく考えが元になっている。成熟するために必要なのは循環論法の考え方だろう。という名越さんオリジナルの妄想説。

部分ごと過激に感じたり、大げさだなぁと思う部分もあるかもしれませんが、” クニ ”ってなんだろう?じぶんたちは一体どこから生まれてどこへいきたいんだろう?ということをいろいろ考えさせられました。

 

そういった日本(国)という括りを取り払ってしまい、多くの学生や子ども たちに対して「日本の未来は君たちの肩にかかっているとはとても言えない。この国を作ってしまったのは私たちだから。世界中のどこでもいいので、どうか生き延びて下さい。」と話して聞かせているという社会学者の上野千鶴子さんのお話はショッキングな内容に富んでいました。

ジブリ汗まみれ|上野千鶴子さんとの対談 その2

この対談は3回に分かれています。出来れば「その1」から聞かれることをおすすめします。

 

最後に。

イザナギとイザナミのお話から、国や国境など随分ややこしそうで触れにくそうなところにまで緩やかに誘って参りました。

三者三様。特に後半のふたつはとても色濃いです。

 

いろんな人がいろんな立場からびっくりするような論法まで飛び出してきたりと、世の中は多様性に富んでいます。と、そう思っていたらどうやら時代はそうでもないらしい。

 

自分たちの未来や信じる道が一本しかないというのは、なんともさみしいなぁなんて感じてしまったりしている今日この頃です。

 

それではこの辺で。

中條 美咲