これからの民藝。

秋ふゆ真っ盛り。関東周辺の紅葉もそろそろ色を深める頃でしょうか。

2日連続で鍋をしました。カレイと蛤をぐつぐつ・・・。餃子用に作って冷凍してあった肉団子も入れて。酒と醤油の下味で。白菜・椎茸・春菊・焼き豆腐。サツマイモなんかをいれてみたり。二日目のしめは「おじや。」
少量の味噌をといて粉チーズとごま油で少しこってり。鍋のさっぱりと、おじやのこってり。
さっぱりとこってりの絶妙なアンサンブル。

ところで「おじや。」っておもしろい響き。文字にしてみて気が付きました。

「おじや」と「おやじ」。同じ文字の組み合わせなのに、「おじや」の方がちょっとくすぐったい。

 

と、いうことで。
今日は雑誌『和樂 12月号』で特集されている「民藝のある暮らし」について。(紙面をはみ出んばかりの写真の迫力は見応え大です)
先日訪ねた「もやい工藝」や今まで断片的に訪れたり触れてきた ”民藝的なものたち” のことを一度きちんと捉えてみたいという思い付きから書いてみることにします。

〈参照〉
かまくらもやい。|紡ぎ、継ぐ
棚ぼたタイム〈 芦沢銈介美術館と登呂遺跡〉|紡ぎ、継ぐ
ものづくりの極意|紡ぎ、継ぐ

本誌の中で、そもそも ”民藝 ”ってなんだろう?というとっても純粋な疑問に、もやい工藝の店主、久野恵一さんはこのように仰っています。

・民藝とは、ひと言で言うと美術品を目指したものではなく、使うためにつくられた道具のなかで美しいもののこと。
・必然的に人の手が加わり、色彩や造形、模様が加えられ、用と美が「備わってしまう」もの。
・民藝という言葉は、思想家の柳宗悦らがつくった造語。日常に用いる雑器の中に美を発見し、それらを「民衆的工藝」(略して民藝)と呼んだ。身近な材料を使った手仕事が各地で行なわれていた時代のこと。
・民藝は、その発生を古代の稲作まで遡る手仕事の文化。素直につくられた品々が使う者の心をとらえるのは、手から生まれたぬくもりがあるから。さらに自然の力強さを感じているとも言える。

柳宗悦は「民藝美論」という著書の中で民藝の定義を8つ挙げているそう。

一、観賞とは一線を画す「実用性」。
二、名声を得るためではない「無名性」。
三、使い手の需要に応じる「複数性」。
四、日用品としての「兼価性」。
五、素材、色や形、模様などの「地方性」。
六、量産が可能な「分業性」。
七、先人の知恵や技術に学んだ「伝統性」。
八、風土や伝統に支えられる「他力性」。

民芸運動が行なわれたのは、1926年(大正15年)。「日本民芸美術館設立趣意書」の発刊により開始された、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動。(Wikipedia参照)

今まで無名の職人による日用品(使うため)としてつくられたものへの評価が低すぎることから、柳宗悦を筆頭に陶芸家の濱田庄司や河井寛次郎、松本民藝家具を創設した池田三四郎や染色家の芹沢銈介。日本と西洋を結んだバーナード・リーチ。版画の鬼才・棟方志功らが民藝運動を共に行い、日本の様々な地方でつくられる「民衆的工藝」に確固たる光を当てた人物として紹介されている。

わたしが注目したいのは、「無名性」や「地方性」、そして「他力性」。

戦後70年をかけて、世の中はもので満たされ均質化された。何処へ行っても必ず同じ店、同じようなショッピングモール、飲食店は今では揃いに揃っている。それはみんなが同じものに憧れ、同じものを求めた結果、目に見える形で捉えることができる大きなひとつの時代。

そんな中、地方性や伝統性、他力性の色濃い「民藝品」は時代遅れ、ダサイ。と思われた時期も少なくなかったのかもしれないなぁと思う。みんな都会的な暮らしに憧れてひたむきに努力した。
名前への執着も高まりそれがステータスでもあった時代。

均質化が進んだことで、地方ごとの特色、文化、伝統は見えにくくなった。衰退もした。
若者は都会へ出て行ってしまったので跡を継ぐものもいない。わたしもそのひとり…。
外に出て気付いたのは、均質化され続けることのさみしさ。無意識に染み込んでいる生まれ育った土地の豊かさ。

深く根をはった土地で名も無き職人さんたちが使い手のことを考え抜いてつくり続けたものは力強くて美しい。すり寄って「買って買って」と目配せすることもなければ寡黙に凛とした佇まいがある。
見るだけでも美しさは感じられるけれど、手にとり使って初めてそのものが持つ秘めたる力強さを目の当たりにする。そうしてこれから使い込んでいった先、どんな表情に変化していくだろうと想像する楽しみ。

 

久野さんは自身の民藝生活のお話の中で「やきものは使うほどに ”しとっ” 、”とろっ” としてくる。やきものの肌をみて、” 寒いなぁ” と思うものは、面白みがないもの。” 生き生きしてるね ”と口をついて出るようなものが、いいものです。」と。そしてご自宅に馴染んだ多くのものたちに対して「これだけさまざまな要素があっても、調和しているでしょう。それもまた、民藝の持ち味であり、大きな魅力なのです」と語られている。

 

「民藝」という価値観にはかつての文化、古いものではなくこれからに繋がっていくおおきな可能性がまだまだいっぱい詰まっていることは間違いない。

” さまざまな要素があっても調和する ” 。この感覚がこれからもう一度、大事になってくるんじゃないかという直感を胸に。

民衆的工藝、(略して民藝)のこの先。古くて新しい民藝。古いも新しいも超越して懐の広さとおもしろさを実感できる民藝。
初代民藝運動を繰り広げられた方々のことを学んでいくと同時に、もっともっとこれからの民藝に出会いたいし、そういったことに取り組みたいと思う人が増えたらきっと楽しい。

「これからの民藝」様、はじめましてどうぞよろしく。

 

それではこの辺で。

中條 美咲