家のあかりを60ワットの透明はだか電球に変えました。
いろんなところに陰ができ、明るすぎる夜がちょっとばかり薄暗くあったかくなり、長い夜が楽しめそうな気持ちの今日この頃です。
少し前にブルータスで松浦弥太郎さんが、山ぶどうのかごバックを紹介されていた。
そのかたちの美しさと素朴さに吸い込まれ、説明書をみてみると…〈もやい工藝〉の久野恵一さんに「これが本物です」。とそのかごを手渡されたエピソードが書かれていた。しかもそこにはちゃんと「僕からもらったと絶対に誰にも言わないように」という約束事が添えられている。
このチャーミングなやりとりも込みで、〈もやい工藝〉にびびびと興味の触覚がふれた。
調べてみるとこのお店、鎌倉にあるとのこと。
さっそくのこと。
紅葉にはまだ少し早い晩秋の鎌倉を訪ねる。
わたしの家から鎌倉は、都内に出るよりわずかばかり近いので、なんのこっちゃない。
最近では好きなお寺や食事処、珈琲屋さんもぽつぽつと数を増やし、時折訪ねる贅沢に、楽しみがより一層深まる。
他所へ行く楽しみは毎回訪ねるごとに、少しづつ自分のお気に入りの場所を見つけていく。そんなあたりに詰まっているのかもしれません。としみじみ・・。
大満足の後にやってくるのは大きな「しみじみ」。
ということで、期待に胸を膨らませ到着したのはひっそりと奥に深い佇まいの中、逆光に身を潜める〈もやい工藝〉。銭洗弁天に向かう道の途中。短くてすこしおっかないトンネルを抜けた辺り。
日曜日の鎌倉も、このお店にはあまり関係ないのかもしれない。
開き過ぎずその土地によく馴染み、独特の空気感を纏う。お邪魔するにあたり、浮ついた気持ちが一度引き締まる。
そしてお店に踏み込むか踏み込まないか辺りで興奮がもっと大きく膨らみ、結局気持ちは再度浮ついた状態でじっくり、じっくり。三周くらいひたすらそこに並ぶ品々を手に取り物色。
物色。すなわち物を色目でみること。自己満足の極み。みたいなところ。
日常の暮らしの中で、使われることを前提に作られた彼らは、主張し過ぎず、繊細すぎず、複雑すぎない。それでいて手に取るとそれぞれの重みや丸みがきちんとあって、手になじみ、すっかり連れて帰ってこの器・このお皿で食卓を囲んでいる妄想が広がってゆく。
金額も日常用として申し分ない。1000円〜3000円以内でも十分すてきな一品に出会えてしまう。
きっかけの山ぶどうのかごバックのことはすっかり忘れて、お気に入りの三品を引き連れて帰ることに。
もしかしたら弥太郎さんが紹介していたような貴重なものは、きっと店主の久野さんが大事に大事に隠しておいて、特別な人にこっそりと。見せたくなったときだけちらりと顔を出すような存在なのでしょう。もしくは手仕事によって生み出される彼ら。
季節や材料の有無。いつでも在庫があるということの方が有り得ないことなのでしょう。
「かごバックありますか」とは聞かずに。また時折訪れることにしようと心に決めた〈もやい工藝〉との出会いでありました。
皆さんも鎌倉を訪ねた際はぜひ、あの空気感に包まれてみてください。民藝にどっぷり、こころを奪われてしまうことになるかもしれません・・・
それではこの辺で。
中條 美咲