昔々、妊娠の可能性のない女性・嫁いで三年にして子なきは悪徳・不吉とされて村を追いやられ、とても嫌われたらしい。呼び方が地方によって、「石女 うまづめ」や「空女 からおんな」など様々あったようだが、江戸時代の儒教的な思想の発展が元になっているとかなんとか・・・。
図書館で読んだ『日本を知る事典』という本に載っていて、強烈な印象に残り、数ヶ月前に目にした内容だったものがつい最近ふっと表に浮上して、ここしばらくそんなことを考えている。
今ではそのような表現・考え方は許されないとされているけれど。そういった考え方があったというのは、何かしらの意味もあるのだろう。
わたしのことを少し。
結婚して1年半が過ぎた。幸いなことに良きパートナーと穏やかに楽しく二人の生活を送っている。子どもの存在・親になることについても少しづつ思い描きながら、将来の暮らし方について自然と会話をすることも多くなった。
今では子どもを産むか産まないか、各々の考え方で決める場合が多い。冒頭のような考え方のもと、子どもを産まないなら出て行ってほしいなどとは言われることもなく、どちらかと言えば当人同士の問題とされる。嫁姑問題が実在する人もいる一方で、近い親類同士でさえ顔を合わせるのは1年に1度なんて人も少なくはないのだろう。それほど今の日本は核家族化が進み、家族単位から個人単位に住まいも生き方も変化し続けてきた。
世の中的には、女性の社会進出(人材の確保)・出生率の向上など頻繁に耳にするようになったけれど、残念ながら今のところ、わたしのような庶民が子どもを何人も産むというのは現実的でないな。と思ってしまう。
今スタンダードとされる環境(塾や習い事に通わせたり、大学を出るまでの一切の費用等)を、自分の子どもに提供してあげようとしたら、残念ながら一人が精一杯だろう。二人や三人子どもが欲しいと考えていても、働きに出ることなどを考えると、現実的・金銭的に難しいと思ってしまう女性や夫婦はとても多いのではないか。高度経済成長期の定番は、もはや重すぎる。
それと同時に、バリバリ働いている女性にとっての、出産でのブランクはきっと小さくない。責任感の強い女性にとっては、仕事に専念する為に、出産を先送りにしたり、場合によっては婚期を逃してしまう可能性もあるかもしれない。
昔の女性たちは、一人で子どもを5人も10人も産んでいたなんて、本当に信じがたい。
そこに女性の人権があったかというと「?」ではあるけれど。14歳や15歳から親に指定された相手の元へ行き、生涯子どもを産み続ける。個人の「幸せ」や「選択」よりも家を守ることの方が重要だった時代…。
今のところ、出産できるのは女性だけ。
男女差別でもなんでもなく、雄と雌。男と女。生き物に与えられた絶対的な役割分担。
個々の選択が許される今となっては、女性の「イエス」か「ノー」がこの国のみらいに大きく影響を与える。
ためらいや不安ばかりで、女性が子どもを産まない選択を多くとれば、働き手どころか日本人が絶滅危機みたいになってしまうかもしれないし、混血が進んで新たな人種に変化するかもしれない。
女性に求められるものは大きい。子どもも沢山産んで欲しいがバリバリ働いてほしい。
求められることはいいことだろう。けれど、それによって頑張り過ぎてしまう。イライラしてしまう女性が増えるのも無理はない。
わたしはどうしたらこれ以上の不安を抱え込まずに、産みたいみんなが子を産み、育てていく環境が手に入れられるのだろうかと考えてしまう。
思い通りにならない自然のままの子どもの存在が、疎まれることのない世の中。都会で難しいのであれば、田舎をどんどん子育てしやすい環境にしていくとか。出産して数年間は家族みんなでそんな村なのか町なのか…に大移動する。
それこそイーハトーブ町みたいなところがあったらいい。
(参照:ジブリ、熱風、サハラに吹く風|紡ぎ、継ぐ)
現実的ではないけれど。望まずにはいられない。
最初の話に戻る。
子どもは7歳までは神の子という諺もあったそうだ。だから血縁関係なく集落の大人みんなで、子の魂がこの世に安定して定着するまで、見守ったらしい。
生児は誕生と同時に産婆をはじめ、産みの親・名付け親・養い親・拾い親・子守り親・・・。多くの人々と関係をもった。それはおそらく「あなたとわたしの子」ではなくて、集落みんなの「神の子」だったということだろう。
そこには人間関係の煩わしさはあっても、子育てへの安心感もある。
ひとりじゃなく、みんなで育てる。誰かしらが見守ってくれている。なにかあったら助けてくれる。
「個人の時代」「個人の自由」「個人の選択」。
すべてを個人に託したことは個々の幸せには結びついたかもしれない一方、他人の世話になる、人の手を借りる、誰かに頼ることはしてはいけないことのようになってしまった。
お金を払って得られる幸せからお金じゃなく違う価値基準のもと支え合える社会へ。
変わっていかない限り、子を産み育てるというのは今のところあらゆる負担の方が大きくてたまらない。
日本の多くの女性たちが、「イエス」を選べる社会へ。
おおらかに笑って子育て出来る世の中になってほしいし、していきたいと願うばかりの今日この頃です。
それではこの辺で。
中條 美咲