空想力。次にこんな言葉が持て栄されたらいかがでしょう。
近年「◯◯力」と「力」が付くだけで、その言葉は一気に実力を発揮する様子なので。
今日から秋の土用入りとのこと。秋から冬へ・・・
この期間は土台は変化させずに、ゆっくり冬に向かって、備えをしたいものです。
季節は変化していくのに、なるべく変化させないように注意を払うって不思議な習わしですね。
変わりやすいとき程、慎重に。ということでしょうか。。
最近のマイブーム。
Coyoteからの、星野道夫、アラスカ、クジラ、谷川俊太郎・・・
共通項はなんだろう。
圧倒的な自然・宇宙。ダイナミックな生命力。
単純明快に。そういったところだろう、か。
そんな折。タイミング良く映画「アース」を見た。
人間を除いた地球の営みを丸ごと感じられる。圧倒的な映像美と、地球の最北端・最南端まで映し出された世界に、ただただ圧倒されるばかり。
地球はそんなに遠くない昔。ニンゲンの星ではなかった。
最後はとても強いメッセージ性を感じた。
地球の3分の1は砂漠が占めている。年々氷は解け、ホッキョクグマは食物にありつく暇もなく、一面に張った氷は猛スピードで解けていく。
氷の上を移動して獲物を探す彼は、体力が落ち、狩りにも失敗し、飢えて死んでいく。
この熊に限らず。実際にはとてもギリギリの所で生態系を保ち、何よりも命を繋ぐことにみんな必死だった。
そこにはかわいそうも、かなしいも存在しない。
*
映像として地球の裏側の生命の営みを美しく・より鮮明に見られるようになったのもつい最近のこと。人間の進歩と、技術革新の御陰だろう。
ただ、なんとなく。(いつもこの場所で繰り返し、発していることだけど)なにかを強く感じようとしたとき、簡単に自分の目でその存在を確認してしまうよりも、文章であったり、詩のようなものを通して、自分の中でその世界についての空想を広げる時間がとても大切だなぁ。と思う。
映像は瞬間的につながる。見ればわかる。わかった気になる。
文字を読むには時間がかかる。集中しないと頭にも入らない。
星野道夫の文章はとてもいい。
大げさでなくて、淡々と語りかけるようにして、生きている。
このひとのように、アラスカの自然を目の当たりにしてみたいなぁ。と、叶うかどうかもわからない空想を広げて、アラスカと、彼自身に想いを馳せる。
そこに谷川さんの詩が重なると、もう言うことはない。
目で見る以上に今居る場所を飛び越えて、地球の裏側・宇宙まで一気に世界は広がっていく。
子どもには、こんな風に広い世界を自らの空想力を育みながら、感じてもらいたいと思う。
世界は広くて、いのちは今日も生きている。
トーテムポール
穏やかな波音が熊と鯨と樹と岩の精霊を和ませている。
生き物とヒトを結ぶ〈魔法の言葉〉は無口
耳をすまして聞こうとすると心が澄んでくる
手斧で削られたレッドシダーの肌は滑らかに暖かく
ミチオの心柱は天地をつなぐささやかなハイフン— 谷川俊太郎(Coyote No.40より)
ひろがり
ものたちのひろがりの中を
私は歩き続ける
ふと風が立つ
すると時が身動きするひそかな身ぶりも
だがすぐ忘れられる人の気付かぬひろがりの中に
時の死がある人間の想い及ばぬひろがりに気づいていよう
私に無関心なものたちの間で
生き死ぬことを知ろう私は歩き続ける さながら私もものであるかのように
私は見るのをやめる
その時突然私は生き始める— 谷川俊太郎(62のソネット+36より)
昔、この日本でも和歌が非常に持て栄された。またそんな風に「詩」であったりそれに代わる何かが持て栄される時代が来るといい。
見るのをやめて、生き始める。
これもきっと、空想力。
それではこの辺で。
中條 美咲