東欧の森、カラクリ屋敷に迷い込む。

目が覚めそうになって、布団のなかでグズグズしているうちに深い夢に沈み込んでいくことがよく、ある。

時折、自分でも驚いてしまうような、現実とはまったく結びつきもしない唐突で不可思議で、2時間に及ぶ映画を見ているような、よくできた夢を見ることがある。そのような夢たちは、一体どこからやってくるのだろう?

茫然と起き上がり、先ほど沈み込んでいた物語について、とりとめのない回想をめぐらせる。

 

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on this bright Earth I see you / 空間と時間のあらわれる場所

「明るい地上には あなたの姿が見える on this bright Earth I see you」と題された現代美術家・内藤礼さんの展覧会について、ふり返ってみたいと思う。

茨城県の水戸芸術現代美術ギャラリーで10月8日まで開かれていた。

いつか体感してみたいと、以前から関心を寄せていた作家さんでもあったので、私は長年の夢(?)が叶ったような浮き足立つ気持ちで会場を訪ねた。 続きを読む

だれのつくったものでもない自然、とともに

その日、北海道で起きた地震のことを知ったのは、羽田空港へと向かう電車の車内。早朝のことだった。

無意識に開いたスマホの画面に映し出される災害速報に、内心どきりとしたものを感じながらも、空港に到着。新千歳空港行きの飛行機は欠航が相次いでいたけれど、旭川行きは運行している。事態の全貌は見えてこないけれど、同じく北を目指す人たちに促されるように、私たちも搭乗手続きを行なった。 続きを読む

「工芸」という選択

先日、「工芸」に変わる適切な言葉がないかという話題がもちあがった。

どうやら一般的に「工芸」という一語は、手仕事の民芸品だったり、木彫品だったりと、「伝統的」という言葉に引きずられながら、由緒正しき手の仕事として受け止められることが多い様子だった。

現代では一般化している、機械の製造工程を含めた「ものづくり」は、果たして「工芸」の括りからは弾かれてしまうのだろうか。

立ち返って、私も考えてみた。 続きを読む

暮れていく、音を聴く。

日が暮れていく。

リンリンリンリンリンリンリン……

虫の鳴き声がする。スズのような、細かやな音色。

気がつけば夏ももうじき終わろうとしていて、

こうして落ち着いて日暮れを過ごすことをしばらくしていなかったと振り返る。

 

夕暮れ時のしっくり感。

暮れていくのにあわせてほろほろと解けていく感じ、私は好きだ。 続きを読む

からむしと暮らし。

 

先日(8/5 sun)都内にて、古いから美しいのではなく、美しいから古くいられる  暮らしの中に生きる「からむし布」とは?というテーマをもとに、人生初めてのイベント登壇を行いました。

この間、一緒に走り続けている、灯台もと暮らし編集部と昭和村からむし振興室協力のもと、織姫研修生のお二人、哲学者の鞍田崇さん、テキスタイルデザイナーの須藤玲子さんにご登壇いただき、40名ほどのみなさんにお集まりいただき、無事にイベントを終えることができました。 続きを読む

まだまだ道の途中から

ボクが「灯台もと暮らし」を立ち上げた理由 」と、題された(株)Wasei 代表・鳥井弘文さんの講義を聞いていて、ハッとしたことがある。

明治大学での授業を終えて。|隠居系男子

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ブログ「隠居系男子」でもおなじみの彼は、わたしと同学年。昭和の終わりに生まれ、平成とともに成長し、スタジオジブリのあり方をこよなく愛す。

『かぐや姫の物語』は完璧で美しく、虚しくて残酷な映画。|隠居系男子

白でも黒でもなく、あいだの中道。穏やかな佇まいと鋭い洞察力に惹きつけられて、一念発起!鳥井さんを訪ねて行ったのは、2014年1月末のことでした。 続きを読む

とめどもない波のなかで出会い別れてゆらめき生きる。

ツイッターを覗かなかったら、
気がつかないまま何事もなくすぎていったであろう一日のおわりに、
ひとつの死に触れた。

正確にいうと、触れたのではなく「目にした」ことになる。
糸井さんの愛犬、ブイヨン先生が亡くなったのだそう。

【雪と桜とブイヨンと。】糸井重里・今日のダーリン3月22日

そこまでの「ほぼ日」愛好家でも、大の愛犬家でもないわたしが、どうしてこんな風に立ち止まってPCに向かっているのか、不思議な気もする一方で、ふと思ったことがある。 続きを読む

食べものと、環境と、自己治癒力。

気持ちがはやる春。週末、思いつきで那須へ向かった。

天気も薄曇りで、北はまだまだ冬のなごり。
わずかに細雪がちらついていた。

目的は湯治、湯に浸りたかった。
那須には好きな温泉がある。その名も「鹿の湯」。

洗い場もシャンプーもドライヤーもない。
目的はシンプルに。服を脱いで、ただそこに身を浸すだけ。
常連さんも多く通う、生粋の湯治場。 続きを読む

内において満たされるもの

この冬、とっぷり影響を受けて、まるで自分の半生がすっかりその子と同一化しているような感覚で魅了された女の子がいた。

名前は「道ちゃん」。

道ちゃんのまわりには、愉快で懐深く、ほんものへと導いてくれる大人が大勢いる。道ちゃんは、自らもほんものを求めて生きる大人たちから、たくさんの愛を注がれて育つ。

ときに迷い、きょろきょろと身をもって必死のさまで道を求めると、然るべき方向に光りを照らし出してくれる誰かしらが、いつも身近に控えてくれていたりもして。なんだかとっても、恵まれている。”恵み”とはこういう環境で、すくすくと健やかに育っていくことをいうのだろうなぁと、ウンウン唸る。 続きを読む

深い闇から生まれ、深い闇へと消えていくこと

こんにちは2018年。

年末年始にかけて、2010年に刊行された月刊「目の眼」別冊『サヨナラ、民芸。こんにちは、民藝。』を読みました。

この2,3年、とても身近なところで「民藝」をキーワードにした動きには触れつつも、書籍などを通して語られる「民藝」に触れることをすっかり先延ばししてきたこの間でもありました。 続きを読む

めくるめく、『魯山人の料理王国』

今年の誕生日に一冊の本をいただいた。
ページを開かずに年を越すのもどうかと思い、意を決して扉をひらく。

作者は北大路魯山人。本のタイトルは、『魯山人の料理王国』。

うす白色のペーパーにお行儀よく包まれた、濃緑色の布貼りの本。といっても、2011年に新装復刻されたものだそうで、歴史をまとったような重々しさは見当たらない。

箱入りの本というのは、少し緊張する。

かつての本といえば革張りや活版といった意匠を凝らし、仲間うちの彫り師さんに装丁用の版画を手がけてもらったり、好みの布をあてがったりもしたのだろう。
「これでもか」というこだわりを凝縮し、仕上げにグラシンペーパーの衣をまとって箱におさまり、ようやく完成。

そんな風に贅沢を尽くして、一冊の本はつくられていたのだろう。でもそれは、四半世紀もむかしの話。 続きを読む

わたしと、花々と星々と。

きのう、こんなことを考えた。

一年は12ヶ月で、12月31日の次の日は1月1日。今年は2017年。
2017年12月31日の次の日は、2018年の1月1日になる。
そして2018年1月3日、わたしは29歳・・・・・・になる!

重要なのはわたしが29歳になることではなくって(もちろんそれも大事だけれど)、どうして一年は12ヶ月で13ヶ月でも14ヶ月でも35ヶ月とかでもなくて、12月31日の翌日は1月1日なんだろうということ。

例えば永遠と、12月31日の次の日は13月1日、13月30日、14月1日・・・・・・・
みたいになったら歳の数え方も変わるんだろうって。

ちなみに例えば1年365日という区切りがなかったら、わたし達はどんな風に歳を感じて生きていくんだろう。

どうしようもなさそうなことばかり考えている、そんな28歳の年の瀬。
大人になるどころか、夢見る少女に逆戻りしている場合では、ないハズ。

みんながなんとなく区切りを感じられて、ここで一周、一区切り!
またひとつ歳を重ねるんだって思えることは、人生の充実感、満足感に少なからず寄与しているんだろうなぁ。

今日から少しずつ、日がのびていく。

さいきん時間とか空間とか、歴史性について、(1920年代あたりを中心に)ぼんやりぼんやり考えています。それは昨日お話したハイデガーの『存在と時間』の影響もそうなのだけど、それよりもずっとずっーと、犬養道子さんの『花々と星々と』の影響がふんだんなのです! 続きを読む